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2008/04/09 日記<日産・ブルーバード>
日産・ブルーバード
ブルーバード(BLUEBIRD)は日産自動車が1959年から2001年まで生産・販売していた乗用車。戦前から続く、ダットサン乗用車の系譜を引き継いでいる。日本の代表的な大衆車として、またタクシー用の車種としても親しまれた。最大の競合車種はトヨタ・コロナ。最盛期の1960年代から1970年代にかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。現在は、日産・ブルーバードシルフィ|ブルーバードシルフィが事実上の後継車種として販売されている。
歴史
前史(-1959年)
ブルーバードは、戦前の10-17型、戦後のDA型、DB型、などのダットサンブランドのセダンの系譜を引き継いでいるが、メカニズム的に直系とされているのは、オースチン (自動車)|オースチンと提携以降の「ダットサン・110型」、「ダットサン・210型」(直列4気筒OHV C型 988cc搭載)である。
初代 310型(1959年-1963年)
*1959年8月発表。発売当時の名称は「ダットサン・ブルーバード」。
ボディタイプは4ドアセダンと1960年7月に追加された日本初のステーションワゴン|エステートワゴンが存在した
[310型セダンはテールランプの形状から、「柿の種」の愛称があった。]。グレード構成は、1000ccはSTD、1200ccはSTDとDX。
スタイリングは当時日産の社内デザイナーの佐藤章蔵によるもので、ややトレンドに遅れたデザインではあったが、機能性が高く市場の反応は良好だった。
セミモノコックボディと低床式フレーム形式 (自動車)#はしご型|ラダーフレームとを組合せて軽量化と強度確保を図る。主要部品の多くは日産・ダットサントラック|ダットサントラックとの共用で、高い信頼性を備えていた。
乗車定員は当初4名であったが、1959年10月に座席寸法を変更して5名となった
[当時のメインユーザーであったタクシー業界からの定員増加の要請による。]。
エンジンは先代のダットサン・210型から踏襲された「日産・C型エンジン|C1型」(水冷エンジン|水冷 直列4気筒 OHV 988cc 34PS/4,400rpm)を設定。
後にストロークを再拡大し、1189cc(43PS/4,400rpm)とした「日産・E型エンジン (初代)|E1型」も設定。輸出主戦場のアメリカ合衆国で当時成功を収めていたフォルクスワーゲン・タイプ1|フォルクスワーゲン・ビートル
[1954年モデルから1200ccエンジンは30HPとなる。公称最高速度112km/h=70マイル/時。1961年には34HPに強化される。]を上回る性能を確保する
[310型の1200ccモデルは最高速度115km/hを公称、定員乗車でも緩い坂を100km/h登坂可能とされた。]。
1960年10月のマイナーチェンジで出力増強が図られ、1000ccC1型43馬力、E1型1200ccは55PS/4,800rpmに変更され、311型となった。同時にトランスミッションが日本初のフルマニュアルトランスミッション#シンクロ型トランスミッション|シンクロメッシュとなる。
1961年2月に日本初の女性仕様車である、「ファンシーデラックス」が追加。方向指示器|ウインカー作動時に鳴るオルゴール、カーテン、サンバイザー組み込みのバニティーミラー、傘立て、ハイヒール立てなど36点もの専用装備があった。
1961年8月のマイナーチェンジでフロントグリル、尾灯|テールランプ、ダッシュボード (自動車)|メーターパネルの意匠が変更され、312型となった。この型よりトランクリッドの開閉がキー操作で開き、閉じるとロックされる構造になる。
1962年4月には「サキソマット」のオートクラッチがオプション設定。
1962年9月のマイナーチェンジでもフロントグリル、テールランプの意匠、フロントスタビライザーが変更。
1962年12月にはフロントシートにセパレートシートを設定。
モータースポーツ
1963年に2台で「サファリラリー」に参戦したが、完走とはならなかった。
2代目 410型(1963年-1967年)
*1963年9月、410型を発表。SSS[スリーエス・スーパースポーツセダンの略。後にブルーバードのイメージを牽引することになる。]が設定された初めてのモデルである。日産初のフル・モノコック構造の車体を採用、ボディタイプは4ドアセダンとワゴン。先代に引き続き北米と新たにヨーロッパ|欧州へ輸出。
スタイリングはピニンファリーナによるものであった。しかし、日本国内では「尻下がり」、「ブタのケツ」等の不評を買い、販売台数で初めてコロナにリードを許す。
エンジンは当初日産・C型エンジン|C型1000cc45馬力と日産・E型エンジン (初代)|E型1200cc55馬力。310型までの直流発電機(ダイナモ)から交流発電機(オルタネーター)に変更。
トランスミッションは310以来のフルシンクロの3速マニュアルトランスミッション|MTで、1200ccには「サキソマット」のセミオートマチックトランスミッション#自動クラッチ車|オートクラッチの設定もあった。
グレード構成は、1000ccはSTD、1200ccはSTDとDX、ファンシーDX、エステートワゴン。
1964年3月 ブルーバード初のスポーツモデルとなる「1200SS(スポーツセダン)」が追加。E型1200ccにSUツインキャブ65馬力のエンジン搭載。
1964年9月 マイナーチェンジでフロントグリルの意匠が変更。1000ccモデルが廃止され、2ドアセダンが追加。
1965年1月 リクライニングシート車設定。
1965年2月 「2ドア1200SS」追加。
1965年5月 マイナーチェンジで411型となった。
1200ccモデルは1300cc日産・J型エンジン|J型62馬力に変更となり、電装系はマイナスアースに変更。1300バンを追加。
同時に「1600SSS」を追加。SUツインキャブ付き1600cc日産・R型エンジン|R型90馬力のエンジン、ポルシェシンクロの4段ミッションを装備。
1966年 メキシコ日産のクエルナバカ工場にて生産を開始。
1966年4月 マイナーチェンジで、評判の良くなかった尻下がりのボディ形状を改める大幅な変更を行った[この変更でテールランプが独特の形状であった通称「鍵テール」から平凡な形状に変更。]。「1300SS」と「1600SSS」は専用フロントグリルに前輪ディスクブレーキを装備。
1966年6月 ボルグワーナー製の3速オートマチックトランスミッション|オートマチック設定。 モータースポーツ
1965年3月 「第4回ナショナルストックカーレース」(於;川口オートレース場ダートコース)スポーツマンクラスにて「1200SS」が優勝。ドライバーは長谷見昌弘。
サファリラリー
: 1964年は4台で、1965年は3台で参戦したが、いずれもリタイア。
: 1966年4月 「第14回東アフリカサファリラリー」に4台の「1300SSS」(1299cc)で参戦。グリンリー/ダンク組が5位で完走し、クラス優勝[このときの記録がダットサンチームマネージャーの笠原剛造により「栄光の5000km」(後に「栄光への5000km」に改題)として出版されベストセラーとなり、後に石原裕次郎主演で映画化もされた(但し映画に登場するのは510型)。]。
ラリー・モンテカルロ|モンテカルロラリー
: 1965年は1台参戦、リタイア。1966年は1台参戦、総合59位、1967年は3台参戦、総合58位、2台リタイア。 3代目 510型(1967年-1972年)
* 1967年8月、発売。ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、5ドアワゴン/5ドアバンの4種類。エンジンは新開発の水冷エンジン|水冷直列4気筒 SOHCの日産・L型エンジン|L型で、1300ccのL13型と1600ccのL16型を積んだSSSのラインアップだった。
1966年には下位モデルとして1000cc大衆車の日産・サニー|ダットサン・サニーが発売されていたことから、ブルーバードは1300cc級以上の中級モデルとして上位移行、ボディは大型化される。社内デザイナーによる「スーパーソニックライン」と称する、プリンス自動車の系譜を引いた直線的で彫りの深いシャープなデザインとなった。従来あったフロントドアガラスの三角窓は換気装置の強化により、省略された。
日産初の四輪独立懸架(フロント:マクファーソン・ストラット、リア:セミトレーリングアーム[セミトレーリングアームの四輪独立懸架は、世界的にも当時、BMWなどの限られたモデルで先例があったのみで、限界時の挙動に優れたものであった。])を採用。セミトレーリングアームのドライブシャフト伸縮には、プリンスがド・ディオンアクスルに使用していたボール・スプラインが活かされている。
日本国内ではオーソドックスな構成ながらデラックスな装備を売りにするトヨタ・コロナ|トヨペット・コロナとの「BC戦争」を競り合った。日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との評を得、史上初めて北米市場でヒットした日本車ともなった。
1968年10月 マイナーチェンジでワイパー位置、フロントグリル、リアコンビランプ形状を変更。直列4気筒SOHC L16型(1595cc)搭載モデル「ダイナミックシリーズ」を追加。DXに4速マニュアルフロアシフト車追加。
1968年11月 コロナハードトップに対抗した2ドアクーペを発売。
1969年9月 一部改良。衝撃吸収インパネを採用。ラジオアンテナはピラーへ移動。
1970年9月 一部改良。直列4気筒SOHC L18型(1770cc)を搭載した1800SSS発売。1300cc → 1400ccへ拡大。4ドアセダンGLを追加。
1971年9月 ブルーバードU(610型)の発売に伴い車種縮小。クーペを廃止し、セダン1400/1600ccの廉価グレードのみに車種整理され、ブルーバードU(610型)と共に併売。
1972年12月 510型生産終了。 4代目 610型(1971年-1976年)
*1971年8月発売。上級移行により、車名も「ブルーバードU」となった。従来の510型も1400cc、1600ccモデルのみ、1972年12月まで継続生産された[1973年1月に日産・バイオレット|バイオレットに引き継がれた。]。カタログモデルとしてのタクシー仕様(営業車)は設定されなかった(改造による個人タクシーは使用実績あり)。
後に追加設定された2000GTシリーズは、ポンティアックを思わせる処理のフロントグリル|フロント周りのデザインが目新しく、特にスカットル部のエアアウトレット風の処理はサメのエラを連想させることから、2000GTシリーズでは「サメブル」の愛称で親しまれていた。
ボディタイプは4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン、バンの4種類。セダン、ハードトップはサイドウインドウ下のガーニッシュが特徴であり、「Jライン」と称され、その色は標準のダークグレーのほか、外板色が白の場合Jラインは黒となり、紺メタリックではオレンジ色も選べた。
グレードは当初はSTD、DX、GL、SSS、SSS-E、SSS-Lが設定され、後に2000cc車のGT、GT-E、GT-X、GT-XEが設定された。グレード名のEはEGI(電子制御のガソリン噴射機構)搭載エンジン車を意味する。
1972年8月の一部改良で、燃料噴射装置#Lジェトロニク|EGIを1600ccにも設定。
1973年8月のマイナーチェンジでフロントグリル周辺、テールランプの意匠が変更。
直列6気筒、2000ccのL20型を搭載し、ホイールベースを150mm、フロントオーバーハングを55mm延長した、ロングノーズの2000GTシリーズ(通称「ブルG」「サメブル」)が追加設定[当時ブルーバードを販売する日産店から、2000ccクラスの車種設定の要請が出ていた。]。
排気ガス規制
1975年9月に2000 EGI車が、10月に1600、1800、2000のキャブ仕様車が50年排気ガス規制(A-)に適合。
1976年2月に2000 EGI車が、3月に1600、1800 EGI車が51年排気ガス規制(C-)に適合。
トリビア
モデルライフ途中でオイルショックを迎え、ホワイトリボン付きタイヤが確保できなくなったため、セールスマンがカタログのホワイトリボンタイヤを黒マジックで塗りつぶして配布したという逸話がある。 モータースポーツ
サファリラリー
1972年に1台が参戦し、総合12位。1973年に2台が参戦し、総合2位・4位、チーム優勝。
5代目 810型(1976年-1979年)
*1976年7月、810型発売。オイルショックや排気ガス規制対応のため登場が遅くなり、販売不振のため次期モデル910型の登場が早まるなど、僅か3年4ヶ月の生産に留まった、悲運のモデルである。
ボディタイプはセダン、2ドアハードトップ、バンで、輸出用にワゴンが存在。
ロングノーズの6気筒2000ccモデルはG6シリーズとして続投。また、610型では設定されなかったタクシー仕様車(L18型搭載)が復活。
エンジンは51年排気ガス規制に適合したNAPS・4気筒のL16/L18、NAPS・6気筒のL20がラインナップ。
足回りは、前輪はマックファーソンストラットコイルで、後輪はSSS系とG6シリーズは独立懸架|セミトレーリング式コイルサスペンションであったが、GL/DX系は格下のリジッドリーフ式サスペンション|リーフサスペンションだった。
1977年10月、一部変更でセダン/ハードトップのGL/DX系のリヤサスを4リンク式に変更。トランクリッドのBLUEBIRDエンブレム廃止。1800はZ18エンジン(NAPS-Z)に変更。
1978年9月のマイナーチェンジで811型となり、全車自動車排出ガス規制|53年排ガス規制適合となる。角型4灯ヘッドライトを採用(タクシー仕様のSTD/DXを除く)。また、ロングノーズで4気筒エンジン搭載のG4シリーズ(リヤサスはGL系と同じ4リンク式)と最上級車として2000G6E-F/G6-F/1800GFを新設。
1979年3月に発売されたブルーバード20周年記念車のスピリット20ではブルーバード初のサンルーフが装着。また、タクシーには3速フロアオートマチックが設定され、角目4灯ライトのGLを追加。同時にエンジンも53年排ガス規制適合のZ18Pとなる。
6代目 910型(1979年-1983年、営業車1979年-1993年)
*1979年11月、910型を発表。ブルーバード史上、最後のFR車。小型車中心の車種構成としたことにより、27ヶ月連続小型車(1600〜2000ccクラス)登録台数一位を記録するなど、510型以来の大ヒットとなった。北米向けはホイールベースを100mm延長し、セダンとワゴンがラインナップされる。
国内向けガソリンエンジンは全車4気筒Z型に統一。また、この910型からディーゼルエンジン(LD20型)が登場し、後にディーゼルターボチャージャー|ターボ(LD20・T型)も追加される。LPGエンジンの営業車にはZ18型のLPGを搭載。
足回りは、フロントサスペンションが二輪駆動|FR車初めてのゼロスクラブにセッティングされた、マクファーソンストラットコイルサスペンション。リアサスペンションはSSS系には独立懸架|セミトレーリング式、エレガント系と後期型ワゴンとタクシーはリンク式サスペンション|4リンク式、バンと前期型ワゴン・1987年10月以降のタクシー用セダンはリーフ式サスペンションとなった。
全車、前輪にベンチレーテッドディスクブレーキを装備。
1979年12月、バンとワゴンを追加発売。
1980年4月 1800EGIターボ(Z18ET型 135馬力)のターボSSS/SSS-S/SSS-X/SSS-XGとセダン2000ディーゼル(LD20型 65馬力)GL/GFを追加。
1980年10月 1800SSSターボとセダン1600GL/GFにAT車追加。
1981年1月 2000キャブ仕様(110馬力)の2000GL/GF/SSS-Lを追加。
1982年1月、マイナーチェンジ。内外装変更。同クラス初のピラーレスの4ドアハードトップモデルを追加。2ドアハードトップは1800ターボSSS/SSS-Sの2グレードに整理。
1982年10月、一部改良。自然吸気の1600/1800ccガソリンエンジンを日産・CAエンジン|CA16型、日産・CAエンジン|CA18/CA18E型に変更。
1983年10月、営業車モデルを除き販売終了。 モータースポーツ
1981年10月、オーストラリアで開催された耐久レース「バサースト1000」に参戦。
結果はオーバーヒートによりリタイア。
1982年5月、当時のグループ5規定に合わせたレーシングカー「ブルーバード・ターボ」が登場。
2ドアハードトップ(KY910型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシーに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーンクラフト製のカウルを装着。ドライバーは、柳田春人。
エンジンは直列4気筒DOHCの日産・L型エンジン|LZ20B型にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせた日産・L型エンジン|LZ20B/T型(2082cc 570ps/7,600rpm、55kgm/6,400rpm)を搭載。
【主な戦歴】
: 1982年 5月 「富士GCシリーズ第2戦 富士グラン250キロレース」3位入賞
: 1982年 5月 「RRC筑波チャンピオンレース」SSクラス 2位入賞
: 1982年10月 「バサースト1000」クラス優勝(総合8位)
: 1982年12月 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 2位入賞
: 1983年12月 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 優勝
: 1983年 「富士スーパーシルエットチャンピオンシリーズ」 チャンピオン獲得
営業車モデル
営業車モデル(タクシー用)は、FF(前輪駆動)のU11型にフルモデルチェンジ後も、FR(後輪駆動)の910型が継続生産された。その理由に、
FF車ではFR車よりも、最小回転半径が大きく小回り性能で不利。
FR車の方が車両や部品の耐久性の面で、発展途上であるFF車よりも信頼性が高い。
ことがあげられる。
1984年1月、日産創立50周年を機に一新された「NISSAN」ロゴと、U11型と同じ「BLUEBIRD」ロゴに変更、エンブレムの位置が左側から右側に変更。
1987年10月、一部変更でリアサスペンションの耐久性向上とLPGタンク容量増のため、リーフ式サスペンション|リーフスプリング式への変更、ステアリングホイールの形状変更[Y30〜Y31前期のセド/グロ営業車仕様のオリジナルと同一のもの]、メーターパネルをタコグラフ取り付け対応に、前期型SSS系と同一デザインのフロントグリル(通称・ハニカムグリル)と後期型SSS系と同一のリア・テールランプへの変更。
1987年10月以降は、追浜工場から日産車体へ生産が移管され、1993年7月に販売終了。
7代目 U11型(1983年-1987年、バン/ワゴンは-1990年)
*1983年10月、U11型にモデルチェンジ (自動車)|モデルチェンジ。910型の流れを汲んだデザインとなる。
ボディタイプは4ドアセダン、4ドアハードトップ、ステーションワゴン、ライトバン|バンの4種類で、2ドアハードトップは廃止。
二輪駆動|FF(前輪駆動)となったが、前モデルの910型と比較してトレッド幅を拡大し、コーナリングにおけるトルクステアなどのFFの弱点を消すことに重点がおかれる。
ガソリンエンジンは、すべて日産・CAエンジン|CA型に統一。ディーゼルエンジンは、ノンターボの日産・L型エンジン|LD20型 65馬力の1種類のみの設定。
発売当初より一新されたロゴフォントを採用[1983年、日産創立50周年を機に米国のペンタグラム社が製作したロゴフォントに一新された。]。
U11型へのモデルチェンジを機に、正式車名が「ダットサン・ブルーバード」から「日産・ブルーバード」へと切り替えられ、車検証の車名欄も「ダットサン」から「ニッサン」となった[1981年7月、当時の石原俊社長の方針で、それまで展開していた「ダットサン」ブランドを廃止して、「日産自動車|日産」ブランドに順次変更する事が発表された。]。
1983年12月 日産設立50周年記念車が発売。
1984年9月 「2000ディーゼルSLX-G」を追加。
1984年10月 810型以来の上級車種として「ブルーバードマキシマ」が登場。日本初のターボチャージャー付きV型6気筒エンジンを搭載したFF車として話題となった。1800cc車は全車5速MT化。2000SLX-Gに大型バンパーを標準装備。
1984年11月 国内生産累計600万台達成。この年、国内販売はトヨタ・カローラ|カローラ、トヨタ・カリーナ|カリーナ、トヨタ・コロナ|コロナに次いで4位(1983年は5位)。
1985年8月 マイナーチェンジ。
エクステリアの大幅な意匠変更が行われ、バンを除く全車にコーナリングランプを標準装備。バンパー、トランクリッドの形状変更、内装の一部変更のほか、SSSシリーズに直列4気筒DOHC 1809ccターボを採用し、145馬力[ネット値145馬力。ちなみにグロス値で換算するとおよそ160馬力になる。]を発生する日産・CAエンジン|CA18DET型エンジン搭載モデルが登場。
追加グレードとして「セダン/ハードトップ 1800スーパーセレクト」、「セダン 1600SLX-G」および「ADワゴン 1800SSS(NAモデル)」が設定され、CA18/CA16が電子制御キャブのCA18S/CA16Sとなり、2000ガソリンは廃止。バンのガソリン車を除くMT車は全車5速MT化され、CA18EとCA18SのATが4速AT化される。電動格納式ドアミラーを新たに設定。
1986年 1800に自動車教習所#教習車|教習車仕様が発売(当初は5速MTのみ、後に4速ATも追加)。
1986年1月 ブルーバードマキシマをマイナーチェンジ。VG20E型搭載モデルを追加。セダンLXセレクト追加。
1986年6月 日産・CAエンジン|CA18DET型エンジン搭載モデルにAT車追加。
1987年9月 4気筒モデルの販売終了。
1988年10月 ブルーバードマキシマ販売終了。日産・マキシマにモデルチェンジ。
1990年5月 バン/ワゴン販売終了。
8代目 U12型(1987年-1991年)
*1987年9月発売。ボディタイプは、4ドアセダンと4ドアハードトップ。丸みを持たせたようなデザインで、ハードトップはセンターピラーレス構造を先代に引き続いて採用。V6エンジンの上級グレード「日産・マキシマ|マキシマ」とバン/ワゴンはU11型を継続生産。
グレード構成は、伝統の「SSS」シリーズのほか、「アーバンサルーン」シリーズとしてLE・SEサルーン・XEサルーン・スーパーセレクトが設定。
ブルーバード初の4輪駆動車が登場し、フルタイム四輪駆動|4WDシステムの「ATTESA」を採用した。
エンジンは先代U11型と同じ日産・CAエンジン|CA系を改良して搭載。新たにインタークーラーを装着し、プレミアムガソリン仕様で175psにまで高められたDOHCターボチャージャー|ターボの日産・CAエンジン|CA18DETは、4WDモデルの「SSS ATTESA LIMITED」にのみ搭載。その他16バルブDOHC・135馬力のCA18DE、CA18i(電子制御インジェクション)、1600ccのCA16、ディーゼル車のLD20がそれぞれ搭載。
STC-Sus(スーパー・トー・コントロール・サスペンション)と呼ばれる、擬似的4輪操舵とも言えるサスペンションを、SSS系の後輪に初採用。
1989年10月、マイナーチェンジ。内外装変更。リアコンビネーションランプのデザインが変更。
軽量ゆえにの音振の悪かった日産・CAエンジン|CA系1800ccエンジンに代わり、新型の日産・SRエンジン|SR系2000/1800ccエンジンとなる(1.6L車は従来通りCA16S型エンジン)。
1991年5月、オーストラリア工場製の5ドアハッチバックモデル「ブルーバード・オーズィー」を発売(尚、このモデルはオーストラリアではR31型日産・スカイライン|スカイラインをベースとした日産・ピンターラ|ピンターラの2代目であった)。4ドアセダンをベースにした独特のスタイルの5ドアハッチバックで、価格もやや高価だったため少量販売にとどまった希少モデルであった。
1991年9月、U13型へのモデルチェンジに伴い販売終了。
セダンはT12型日産・オースター|オースターがベースだった先代に代わって1990年〜1992年までと短命ながらも日産・スタンザ|スタンザとして北米市場でも販売されていた。尚、1993年より同市場で発売されている日産・アルティマ|アルティマはスタンザの後継車種である。 SSS-R
ラリー競技参加を主眼として、ラリーバージョンの「SSS-R」が設定。オーテックジャパンが開発し、日産自動車で製造、ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMOで販売された。ラリー競技には必須の「ATTESA」を搭載したフルタイム4WD車で、エアインテークが設けられた専用エンジンフードが外観上の特徴。国内JAF競技用ベース車という性格から、室内にはロールバーを標準装備。ボディタイプは4ドアセダンのみ。
エンジンは、ベースとなったCA18DETにチューニングを施し、185psまでパワーアップされた日産・CAエンジン|CA18DET-Rが搭載。
ターボの過給圧増に伴う圧縮比ダウン、ステンレスエギゾーストマニホールドの採用、カム (機械要素)|カムのオーバーラップ増等であるが、中でもコスワース社製の専用鍛造ピストンが組み込まれていた事が特筆すべき点であった。
なお、SSS-Rは、受注生産車として月産10台程度販売された。後期型のエンジンは、同時期に販売されていたRNN14日産・パルサー|パルサーGTI-Rとほぼ共通のSR20DETに変更されている。前期の1800ccに対し後期の2000ccのSSS-Rの販売台数はごくわずかであり、希少車となっている。
SSS-Rは1988年、全日本ラリー選手権Cクラスに参戦し、ドライバーズチャンピオンを獲得。ドライバーは綾部美津夫。
9代目 U13型(1991年-1995年)
*1991年9月21日、U13型が発売。ボディタイプは4ドアハードトップと4ドアセダン。
ハードトップは安全面を考慮してセンターピラーが付けられ、エレガントなデザインの「ARX」(アークス)となる。セダンはスポーティな「SSS」(スリーエス)、ビジネス・エコノミーグレードの「EEX」(イーエックス)と後に追加された「ビジネス」が設定された。セダンのデザインは、日本の日産案と日産北米スタジオ(NDI)案が比較され、独特なフォルム(410型や日産・レパード|レパードJフェリーのような「尻下がり」型)を持つ北米案が採用された。しかし、これまでの伝統的なボクシーなフォルムから一変したデザインを採用したセダンは特に13インチタイヤのモデルなどでは醜悪とも言えるものであり、到底これまでのブルーバードファンには受け入れられるものとはならず、国内ではまだしも保守的な層にも受け入れられるデザインであるARXが販売の大半だった。また、競合するP10型日産・プリメーラ|プリメーラが好調だったのに対し、奇をてらうデザインのU13型ブルーバードは全体に販売面で劣勢だった。
駆動方式はFFと4WDのATTESAが設定された。ガソリン2000ccエンジン(SR20DET/SR20DE搭載)車はリアLSDにもビスカスカップリングを用いており、SSSリミテッドアテーサにはフロントにもビスカスカップリングを用いた新システムの「トリプルビスカス」が採用された。
装備はハイマウントストップランプが全車標準装備となったほか、上級グレードの「ARX-Z」には運転席SRSエアバッグを採用(後に全車標準装備)。車内に取付けたマイクで集音した波形と逆位相の波形を専用スピーカーから送出して車内騒音を軽減させるANC:アクティブノイズコントロ-ル、先行してS13型日産・シルビア|シルビアに採用されていたヘッドアップディスプレイ|フロントウィンドウディスプレイ(フロントウィンドウに速度・ブレーキ警告・ドア警告を表示させる)などがあった。
1993年8月、マイナーチェンジで後期型に移行。
セダン、ハードトップ共にフロントグリルやバンパー等のデザインを変更。ARXにスーパーツーリング系を追加設定。SSS系はリアスポイラーの形状変更。
装備では車速検知式集中ドアロックや足踏み式パーキングブレーキ等を新たに採用。また、輸出用の2400ccKA24DE型エンジンを搭載したSSS-ZとARXスーパーツーリングZを新設定。ブルーバードの史上初にして唯一の3ナンバー車。
1995年1月、一部改良。
運転席SRSエアバッグとグリーンガラスを全車標準装備化。また、ABSをオプション扱いで設定。外装色追加、内装のシートとトリムクロスを変更。ARX1800ccシリーズにSVを設定。SSS-Zを廃止。
1995年12月、販売終了。U14型にバトンタッチ。 海外モデル
SSS/EEX系4ドアセダンは「日産・アルティマ|アルティマ」の名称で北米でも販売され、国内モデルよりも車幅が広く、細部が異なっていた。中国の東風自動車でも近年まで生産。
ARX系ハードトップは、香港に2000ccモデルのみ輸出。
2002年6月 第7回北京国際モーターショーにて、U13型4ドアセダンをベースとする「ブルーバード フラッグシップモデル」を発表。中国風神汽車がライセンス生産し、同年7月発売。中国市場での名称は「藍鳥」。
10代目 U14型(1996年-2001年)
*1996年1月、U14型が発売。ユーザーの要望もあり、箱型のオーソドックスなスタイルとなった。ボディタイプはセダンのみ。
: P11型日産・プリメーラ|プリメーラとプラットフォーム[プラットフォームはB14型日産・サニー|サニーがベースとなっている。]を共用する。
: グレード構成はスポーティな「SSS」系と、フォーマル/ファミリー向けの「ルグラン」「XE/FE」を設定。後に「エプリース」が追加。
: トランスミッションは当初5速フロアシフトとOD付き4速ロックアップATを設定。後にマニュアルモード付きのハイパー無段変速機|CVT-M6、ハイパー無段変速機|CVT、電子制御AT「E-AT」を追加した。
: 装備面では、運転席と助手席のデュアルSRSエアバッグを全車に標準装備。
1996年8月、オプション設定だったABSを全車標準化。
1997年9月、マイナーチェンジ。
: 日産・パルサー|パルサーで採用されたNEO VVLエンジンの2000cc版、190馬力の日産・SRエンジン|SR20VEを搭載したホットモデル「2.0 SSS-Z」が設定された。トランスミッションはマニュアルモード付きのハイパー無段変速機|CVT-M6のみ。
: 2000ccガソリンFF車のトランスミッションを、4ATからハイパーCVTへ変更。
: シリーズ全体で外観の小変更(フロントグリル形状など)を行い、内装の「インナーグリーン」化などを行った。
1998年9月 マイナーチェンジ。内外装の小変更が行われた。
: 1800cc車の標準エンジンを、SR18DEから日産・QGエンジン|QG18DE(NEO)型リーンバーンエンジンへと変更。電子制御AT「E-AT」と組み合わされた。又、新開発のNEO Di直噴ガソリンエンジン日産・QGエンジン|QG18DDにハイパー無段変速機|CVTを組み合わせたモデルも設定された。直噴式とすることで、標準モデルよりも燃費とトルクに優れる。SR18DE搭載車は4WDのみ継続する。
: 2000ccのSSS系グレードにマニュアルモード付きのハイパー無段変速機|CVT-M6が搭載された。
1999年10月 40周年記念車を発売。
2000年8月 N16型日産・アルメーラ|アルメーラ(海外向けN15型日産・パルサー|パルサーの後継車種)と車台を共用するG10型日産・ブルーバードシルフィ|ブルーバードシルフィ登場。U14型ブルーバードと並売する形をとる。
2001年8月、販売終了。42年のブルーバードの歴史に幕を下ろした。脚注
車名の由来
メーテルリンクの童話『青い鳥』にちなむ。古来より欧米では青い鳥は「幸せの青い鳥」として幸福の象徴とされてきた。通称「ブル」。当時の川又克二社長によって命名された。当初は「スノーバード(ユキホオジロ)」と命名されるはずだったが、これがアメリカの俗語で麻薬常習者を意味していたため、改名せざるを得なかったと言う逸話がある。関連項目
日産店(ブルーバード販売会社)
ダットサン
オーテックジャパン
ルパン三世 メルセデス・ベンツSSKと同様。この車も登場する。
ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル
日産・ブルーバードシルフィ(後継車)
日産・マキシマ(U11型より派生車)
日産・レパード(F30型・派生車)
日産・ピンターラ(U12型・豪州工場生産車)
日産・サニー(B14型・同プラットフォーム)
日産・パルサー(N14型/N15型)
日産・アルメーラ(N15/16型)
日産・プリメーラ(P11型・兄弟車)
日産・バイオレット(弟分)
日産・オースター(兄弟車)
日産・スタンザ(兄弟車)
日産・リバティ|日産・プレーリー(プラットフォーム共用)
トヨタ・コロナ(競合車)外部リンク
日産・ブルーバード
日産・ブルーバードシルフィ
日産ミュージアム
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