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2008/05/21 日記<日産・スカイライン>
日産・スカイライン
スカイライン (SKYLINE)は日産自動車が製造・販売している乗用車。
概要
1957年にプリンス自動車工業|富士精密工業(のちプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。スカイラインは2008年現在12代目である。ラインナップは4ドアセダンと2ドアクーペがあるが、過去には5ドアハッチバックやステーションワゴンもラインアップされていた(後継は日産・アベニールに一旦統合、後にLクラスステーションワゴンとして発売の日産・ステージア〈現在生産終了〉)。5ドアハッチバックやライトバン(エステート)もラインアップに存在した時期もある(後継は日産・アベニール|アベニールカーゴ→日産・エキスパート|エキスパート→日産・ADバン|ADエキスパート)。なお12代目クーペは2007年10月に発売された。ミドルクラスセダンに位置するが、自動車レースで用いられた過去があり、特に"GT-R"グレードは同クラスの他車に比べてレース色が強く、実際に製品としての性格付けもそのようになっている。
かつての最大の競合車種はトヨタ・マークII(現トヨタ・マークX|マークX)であった。過去に姉妹車として、同じ村山工場で生産されていた日産・ローレル|ローレルと、日産・セフィーロ|セフィーロ
[初代A31型は、一時期座間工場で生産されていた]もあった。長野県岡谷市には、単一車種の博物館としては異例ともいえる「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。
歴史
初代 ALSI型(1957年-1963年)
1957年4月 富士精密工業(当時)より発売されたALSI-1型がスカイラインの初代となる。当時の日本における小型乗用車規格に合わせ、当初は1500ccでの発売となった。グレードはスタンダード(ALSIS-1型)とデラックス(ALSID-1型)の2種類。ボディスタイルはプリンスの自社オリジナルで、アメリカ資本の欧州車を思わせるボリューム感のあるデザインだったが、ヨーロッパのモーターショーでは同時期発表の中型セダンであるシムカ・アリアーヌからのデザイン盗用を疑われたこともある。構造面は、やや旧弊化した在来プリンス車から完全に一新され、低床バックボーン・トレー式シャーシを持つセミ・モノコック構造となった。前輪は前年のプリンスで既に採用されていたダブルウィッシュボーン独立懸架、後輪は日本最初のド・ディオンアクスルを採用し、先進性をアピールした。搭載するエンジンは直列4気筒OHV・1484ccのGA30型で、プジョー系の設計の発展形であるプリンス在来型エンジンの改良であるが、60psの出力は、競合するトヨタや日産の同クラス車を上回るものであった。カタログスペックでは当時の日本製1500cc車最速の最高速度125km/hを称した。他の国産車に先駆け、グリース|グリスアップの不要な無給脂シャシ (自動車)|シャーシを採用し、メンテナンスフリーをうたったことも重要である。1958年 マイナーチェンジ。1958年10月 第5回全日本自動車ショウ(後の東京モーターショー)に、排気量拡大型の試作車「スカイライン1900(BLSI-1型)」を出品。この試作車は明仁|明仁皇太子の愛車となり、皇太子が自ら運転したことでも知られる。
1959年2月 前年の全日本自動車ショウに出品した1900ccモデルを「日産・グロリア|グロリア(BLSIP-1型)」として発売。直列4気筒OHV1862cc GB30型エンジンを搭載する。1959年7月 第1回日本アルペンラリーに出場し、優勝および総合3位を飾る。優勝ドライバーは自動車ジャーナリストの古我信生。1959年10月 エンジン出力を70ps(馬力)へ向上し、ALSIS-2型(スタンダード)、ALSID-2型(デラックス)となる。1960年2月 マイナーチェンジ。丸型2灯テールランプに変更されたほか、デラックスのみ4灯式ヘッドランプを採用する。1960年10月 スタンダードがマイナーチェンジにより4灯式ヘッドランプに変更。1960年秋 第42回トリノショーにイタリアのカロッツェリア「ジョバンニ・ミケロッティ」にデザインを依頼した「スカイライン・スポーツ(BLRA型/R21B型)」を出展。1961年9月 「1900デラックス(BLSID-3型)」追加。直列4気筒OHV 1862cc GB4型を搭載する。1961年10月 「1900スタンダード(BLSIS-3型)」追加。1962年4月 「スカイライン・スポーツ(BLRA-3型/R21B型)」を追加。日本初のスペシャルティカーといわれる。つり目4灯ヘッドライトの特徴的なスタイル、クーペとオープンカー|コンバーチブルの2タイプの設定等、注目を集めたが、ボディの殆どがイタリアの職人の指導によるハンドメイド(ジョバンニ・ミケロッティとアレマーノ社の手により製作)で高コスト・高価であり、また市場も十分に育っていなかったため、製造台数は60台ほどでビジネスとしては成功したとはいえない。特徴であるつり目ヘッドライトは、板金型がハンドメイドゆえに誤差があり、左右で角度が若干違っている。搭載するエンジンはGB4型。同年の第4回日本アルペンラリーに出場し、7位完走を果たす。テレビドラマウルトラQの劇中で使用されていた。当時の価格はDXが120万円、クーペが185万円。クーペの価格は当時の日産・ブルーバード|ブルーバード3台分に相当するもので、購買者は専ら高所得層の人々に限られた。1962年9月 「スカイラインスーパー(S21D型)」発表。4灯式ヘッドランプをもつフラットデッキスタイルとなる。搭載するエンジンは直列4気筒OHV 1862cc G2型(91ps/4800rpm、15.0kgm/3600rpm)。プリンスにおける乗用車派生型の商用モデルは、1957年に旧型プリンスセダンの設計をベースに開発された「プリンス・コマーシャル」が最初であるが、1959年にはスカイラインの派生モデルである「スカイウェイ」にモデルチェンジした。ライトバンとピックアップトラック|ピックアップが設定されたが、ライトバンには前席のみ2ドア仕様の他、1960年に車体左側のみに後席ドアを追加した3ドア型が追加された。1961年にはスカイライン同様に1900ccモデルも追加されている。
2代目 S50型(1963年-1968年)
キャッチコピー:理想のファミリーカー1963年9月 S50D-I型発売。1900cc以上の上級市場はグロリアに譲り、1500ccクラスの量販車市場を拡充するために、G1型直列4気筒OHV1484ccエンジンを搭載する、小型ファミリーセダンとして開発・投入された。モノコック構造を採用したボディのバリエーションは4ドアセダンとステーションワゴン(W50A-I型)の2種類。当初、バンはプリンス・スカイウェイ|スカイウェイ(V51A-I型)としてラインナップしていたが、後のマイナーチェンジでスカイラインバンとなった。当時の欧米自動車業界で本格化しつつあったメンテナンスフリー化を積極的に進め、4万kmまたは2年間保障の封印エンジン
[1960年代初頭までの自動車は、ほこりや砂などでエンジン内が磨耗を起こしがちであったため、ライナーを打ち込んで内部を研削し磨耗代を復元するためのヘッド開閉は頻繁で、これを長期不要としたのは画期的であった。長く用いられた在来エンジンの設計を踏襲してはいるが、「封印エンジン」が実現したのは、材質の改良や、内部の表面加工改良のたまものである。]や、1年間3万km無給油シャシーなどが話題を呼んだ。1963年10月 第10回東京モーターショー|全日本自動車ショーに、S50型をベースとした2ドアクーペ「スカイライン1900スプリント」を参考出品。好評を博した。1964年4月 スタンダードグレード(S50S-I型)追加。1964年5月 第2回日本グランプリ (4輪)|日本グランプリGTクラス出場のため、より強力な日産・グロリア|グロリアスーパー6用のG7型直列6気筒OHC1988ccエンジンを、ボディのフロント部を200mm延長して搭載したスカイラインGT(S54A-I型)を開発。ホモロゲーション用に100台を生産し販売した。1965年2月 レースモデルと同等にウェーバー製のキャブを3連装し、125psを出力したスカイライン2000GT(S54B-II型)発売。1965年9月 シングルキャブレター|キャブ仕様(105馬力|ps)の2000GT-A(S54A-II型)が追加。2月に発売されていた2000GTは「2000GT-B」となった。このとき、GT-Aは青のGTエンブレム(通称;青バッヂ)、GT-Bは赤のGTエンブレム(赤バッヂ)を装着した。1966年8月 プリンス自動車が日産自動車と合併したため、車名をニッサン・プリンス・スカイラインに変更。1966年10月 マイナーチェンジ。グリルが横桟のデザインになる。1967年8月 G1型に替わり、G15型直列4気筒OHC1483ccエンジン(88ps)を搭載するS57D型が登場。6万km無給油シャシーとなった。当時の価格はGTが86万円。
3代目 C10型(1968年-1972年)
通称:ハコスカキャッチコピー:ダイナミックファミリーセダン・愛のスカイライン日産との合併後初めて新規発売されたモデルである。1968年8月 S50型のモデルチェンジとして、4ドアセダン(C10型)、エステート(WC10型)、バン(VC10型)が発表された。日産のラインナップでは10代型式の小型乗用車であるが、上級車種ということで2ドアセダン / 2ドアバンの設定は無い。エンジンはプリンス製の直列4気筒OHC1500cc G15型を搭載する。足回りはフロントがストラット式サスペンション|マクファーソンストラットとコイルスプリングの組み合わせに変更された。リアはリーフ式サスペンション|リーフリジッドである。グレード展開は、スタンダードとデラックスのみであったが、デラックスにはシート形状とトランスミッションにより、ファミリーデラックス(3速シフトレバーの配置|コラムシフト・ベンチシート)、ツーリングデラックス(3速コラムシフト・セパレートシート)、スポーティデラックス(4速フロアシフト・セパレートシート)の3種のほか、女性仕様車|女性仕様の「Lパック」がメーカーオプションとして用意され、バリエーションを確保した。1968年10月 GT(GC10型)が追加される。S50型同様、バルクヘッド前よりホイールベースを延長しているが、S50と違い、開発当初から6気筒化を配慮した構造とデザインを備えており、6気筒モデルの方がバランスの整った外見となった。エンジンはプリンス製ではなく、日産の直列6気筒、OHC、2000ccの日産・L型エンジン|L20型エンジンを搭載する。サスペンションは、フロントは4気筒同様のマクファーソンストラットであるが、リアはセミトレーリングアーム式サスペンション|セミトレーリングアームとコイルばね|スプリングへ変更され、4輪独立懸架となる。同月 第15回東京モーターショーに、「スカイラインGTレーシング仕様」が出品される。翌年発売されるGT-Rのコンセプトカーである。1969年2月 プリンス系列の技術陣によって開発された直列6気筒4バルブDOHC2000cc S20型エンジンを搭載した「スカイラインGT-R(PGC10型)」を発売。そのカタログにはレーシング直系を印象付けるため、R380A-IIIも登場する。外観でのGTとの相違は、大きくなったタイヤサイズに対応するため、リアフェンダーのサーフィンラインがカットされている他、ウインドシールドをはじめとしたウインドウガラスが、青色の熱線吸収タイプでは無く、リアの曇り止め用プリント式熱線も無いこと、モール類が装備されない点などである。同月 1800シリーズ(PC10型)を追加。ローレルに先行搭載されていたプリンス系の直列4気筒OHC1800cc G18型を移植したもの。1800スポーティデラックスにGTの装備品を加えた「スポーティS」なるグレードも設定されていたが、エンジンはシングルキャブのままだった。1969年10月 マイナーチェンジ。いわゆる「ワンピースグリル」に変更される。1970年10月 2ドアハードトップを1800シリーズ(KPC10型)、および2000GTシリーズ(KGC10型)に追加。GT-Rはセダンからハードトップ(KPGC10型)へ変更された。ハードトップはセダンに対し70mmホイールベースを短縮したことにより、運動性能が向上した。なお、キャッチコピーの"愛のスカイライン"はC110(ケンメリ)やR34後期のCMでも使われた。ハコスカGT-Rの当時価格は150万円だった。21世紀初頭現在でも、いわゆる「旧車」の中で特に知名度や人気が高いモデルの一つである。
Image:C10GT-R.jpg|GT-R
Image:C10GT-Rrear.jpg|GT-R(リア)
4代目 C110型(1972年-1977年)
通称:ケンメリ、ヨンメリ(セダンモデルのみの愛称)キャッチコピー:ケンとメリーのスカイライン1972年9月 C110型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは4ドアセダン、2ドアハードトップ、およびワゴン / バンを有し、先代同様、セダン / ハードトップにはホイールベースを延長し6気筒エンジンを搭載したGT系の設定がある。サーフィンラインのプレス加工|プレスラインは極浅く、プレーンな面構成となった。2ドアハードトップは太いCピラーを特徴とし、ワゴン / バンはクオーターウインドウを廃し、スポーティーさを演出した。プレスラインが見えにくい、白いボディカラーの2ドアハードトップにのみ、リアフェンダーにデカール式のピンストライプが設定されている。これは当時の日産自動車の社長命令によるものといわれる。搭載するエンジンはG15型をボアアップした直列4気筒OHC1600ccのG16型、タクシーや教習車用のG16LPG自動車|LPG仕様(販売は1975年頃まで)、先代より継続されたOHC1800ccのG18型、およびL20型の4機種。足回りはフロントがストラット式サスペンション|マクファーソンストラット、リアは4気筒モデルがシーフ式サスペンション|リーフリジッド、6気筒モデルがセミトレーリングアームとコイルスプリングの組合せである。4ドアセダンのGT系、および2ドアハードトップの全グレードの尾灯|テールライトが丸型4灯式となった。これは、以後スカイラインのアイデンティティの一つとして、10代目のR34まで受け継がれていくことになる。4ドアセダンはヨンメリ(4ドアのケンメリ)とも呼ばれている。この代から警察庁へパトロールカー(警らパトカー)として導入された。当時の警察の規定により、エンジンは6気筒(L20S型)、内装は血液汚れなどの手入れの楽なビニールトリムとなった専用モデルとなっている。警らパトカー仕様はR31型まで設定されている。C110型から右ハンドル圏の日本国外へも、「ダットサン240K」の名で輸出されるようになった。1972年10月 第19回東京モーターショーに「ハードトップ2000GT-Rレーシング仕様」を出品。1973年1月 「ハードトップ2000GT-R(KPGC110型)」を追加。先代同様S20型エンジン(1989cc 160ps/7000rpm、18.0kgm/5600rpm)を搭載し、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラー等を装備する他、先代では標準でなかったラジオが標準装備とされている。自動車排出ガス規制|排出ガス規制の影響もあり、僅か197台が生産され、うち195台が市販されたのみで終了している。レースに出場することはなかったが、旧車趣味界においても希少なGT-Rとして知られている。この後、R32型までGT-Rは設定されていない。製造台数が197台となった理由には、三国工業から購入したS20エンジン用ソレックスキャブレターが、197台分だけ残っていたためである。但し、生産台数には諸説あり、試作車も含めて少なくとも200台以上が生産されたと思われる節が見受けられる。その根拠としては旧車専門ショップ「ガレージ石坂」よりカーメイキングマナブスの社長、近藤学氏が購入した日産が放出した車両に刻印されていたフレームナンバーが今迄公にされてきた番号より若い上にフロントメンバーの形状が通常市販車と違い、マウントも異なっていたことから日産がロータリーエンジンを開発する際のテストベッドであった可能性も指摘されている。尚、この車両は近藤氏が購入後、日産から正式に生産証明を与えられ、ナンバープレートを取得して公道走行可能な状態にされている。1975年5月 マイナーチェンジ。4気筒モデルには、プリンス製のG16型、G18型に替わり、日産製L16型、L18型が搭載される。1975年9月 50年排出ガス規制(A-)対応の、電子制御燃料噴射装置|燃料噴射(ニッサンEGI)を採用するL20E型を搭載する「セダン / ハードトップ2000GTX・E」を追加。1975年10月 セダン/ハードトップの1600・1800・2000(L20S型搭載車)系をNAPSにより50年排ガス規制(A-)に適合。同時にマイナーチェンジ、フロント/リアのデザインが変更される。最下位グレードがセダン1600DXとなる1976年2月〜3月 GT系のL20E搭載車が、昭和51年排ガス規制(C-)に適合。翌月には1600も昭和51年規制に適合1976年6月 GT系のL20S搭載車、1800系が昭和51年規制に適合。広告で「ケンとメリーのスカイライン」のキャッチコピーが使われたことから、「ケンメリ」と呼ばれる。傘のマークをワンポイントにしたキャラクター商品も販売された。バズが歌うCMソング『ケンとメリー〜愛と風のように〜』がヒットチャート1位になり、CMの撮影が行われた北海道美瑛町のポプラの木は今なお「ケンとメリーの木」として観光名所である。当時このCMにケン役で出ていたのはマイケル富岡であるとの誤解が一部にあるが、マイケル富岡が出演していたのは5代目のC210型のCMである。東宝製作の特撮テレビドラマ「流星人間ゾーン」に登場する車両「マイティーライナー」のベース車両は、このGC110型(2ドアハードトップ)スカイラインである。1980年代、手頃な価格とあいまって若者を中心に人気があったこのモデルは、姉妹車のローレルとともに暴走族の改造車(族車)の定番になり、テールライトの中心寄り2つをパテ埋めする「ワンテール仕様」や、ウインカーやグリルをローレルのものに交換する、テールライトを日産・チェリー|チェリーのものに交換するなどといった、当時の日産車同士のパーツの互換性を活かした多彩な改造が流行した。
Image:C110GT-RTMS.jpg|GT-R(東京モーターショー出品車)
画像:Biei-tree2 2003.jpg|ケンとメリーの木
5代目 C210型(1977年-1981年)
通称:ジャパン、キャッチコピー:スカイライン ジャパン1977年8月 C210型発売。ボディバリエーションはC110型と同様、4ドアセダン、2ドアハードトップ、およびバンの3系列を設定し、セダンおよびハードトップは直列6気筒エンジン搭載車と直列4気筒エンジン搭載車でホイールベースをそれぞれ2615mm、2515mmとされた。バンは直列4気筒エンジンのみの設定であった。搭載するエンジンは直列4気筒OHCがL16S型(1595cc)、L18S型(1770cc)、L18E型の3機種。直列6気筒OHCがL20S型(1998cc 115ps/5600rpm、16.5kgm/3600rpm)、およびL20E型(130ps/6000rpm、17.0kgm/4400rpm)の2機種。発売当初は自動車排出ガス規制の影響を受け、DOHCもターボチャージャー|ターボも設定する事が出来ず、「牙を抜かれたGT」と揶揄され、競合車種のトヨタ・セリカのコマーシャルメッセージ|CMでも「名ばかりのGT達は、道をあける。」のコピーにて皮肉られる始末であった。グレード体系は直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TI(ツーリング・インターナショナル)シリーズ」の2系列となった。GTとTIとではラジエーターグリルおよびテールランプの意匠が異なる。サーフィンラインはエッジのあるブリスター形状となり、リアトレッド拡大に寄与している。足回りはフロント側がストラット式。リア側は4気筒モデルが4リンク式、6気筒モデルがセミトレーリングアーム式の組合せ。GTバッヂは3種類となり、GTおよびGT-E・Lが青バッヂ、GT-E・Xが金バッヂ、GT-E・Sが赤バッヂとされた。GT・LおよびGT-E・Xはデジタル時計が装備され、それ以外のグレードはアナログ時計が装備された。GT-E・Sにはリアワイパーおよびヘッドランプクリーナーが標準装備された。また、GT-E・SおよびTI-E・Sには4輪ディスクブレーキおよびリアスタビライザーが装備された。メインキャッチコピーのほかにも、サブキャッチコピーもあり、サブキャッチコピーには「Mr&Ms(みすたー・あんど・みず)」が使われた。1978年3月 2ドアハードトップ2000GT-E・Lおよび1800TI-E・Lに特別仕様車「ブラッキー」を設定。アルミホイール、70%扁平ラジアルタイヤ、オーバーヘッドコンソール、およびヘッドランプクリーナーを装備した。1978年8月 L16/L18型エンジンを、急速燃焼方式(ツインスパークプラグ)を採用する直列4気筒OHC Z16/18型エンジンに変更。L20型エンジンについても一部変更が施され、昭和53年排気ガス規制に適合し、車両型式が211型となる。同時に「1800TI-E・X」を追加。1979年7月 マイナーチェンジにより前後の意匠変更がなされる。GTシリーズは角型異型2灯ヘッドランプとされ、TIシリーズは丸型4灯ヘッドランプを継承したが、ラジエーターグリルが変更された。1979年8月 ワゴン(WPC211)追加。Z18型エンジンを搭載する。1979年11月 2000GT-Eに特別仕様車「スーパーGT」を設定。セダンはミケロッティマグネシウムホイール(クロモドラ製)、ハードトップはカンパニョーロホイールを装備した。1980年3月 2000GT-E・Sおよび2000GT-E・Xに特別仕様車「ゴールデンカー」を設定。専用のゴールド塗装のほか、E・Sはパワーサンルーフ、カンパニョーロマグネシウムホイールを装備し、E・Xはミケロッティマグネシウムホイール、ミシュランタイヤを装備した。1980年4月 待望のターボエンジンを搭載したモデルを追加。L20E型エンジンにターボがプラスされ、パワー&トルクは145ps/5600rpm、21.0kgm/3200rpmを搾り出した。発売当時の価格は165.8万円。「日産・セドリック|セドリック/日産・グロリア|グロリア」、「日産・ブルーバード|ブルーバード」に次ぐ日産において3車種目のターボ車であり、日産初のターボとATを組合わせた車種である。同時にノンターボの「2000GT-E・S」が廃止となる。CMではセリカの「名ばかりのGT達は、道をあける。」のコピーに対抗して「今、スカイラインを追うものは誰か」というコピーが用いられた。1980年6月 直列6気筒OHC LD28型ディーゼルエンジンを搭載する「セダン/ハードトップ280D GTシリーズ(EGC211型)」、直列4気筒OHC Z20E型エンジンを搭載する「2000TIシリーズ(UC211型)」、100万円を下回る最廉価版「1600TI-A(BC211S型)」、およびバンに直列4気筒OHC LD20型ディーゼルエンジン搭載車を追加。280D GTはディーゼルエンジンの持ち味である低回転からのトルクをアピールされた。この当時の国産車におけるディーゼル乗用車としては最速を誇っていた。1980年代、先代モデルのケンメリと同じく暴走族の改造車としても人気を得ていた。ケンメリ同様、ワンテール化やライト、グリルの移植が流行していた。2ドアハードトップ・2000GTターボが、刑事ドラマ西部警察の劇用車(マシンX)として使われていた。当時、ターボエンジンを搭載したモデルのフロントバンパーに鏡文字になった「TURBO」のエンブレムが広告等で話題となり、「写真が反転していないか」との問い合わせもあった。これは、前方車のミラーに映りこむことを狙ったものといわれている。宮城県登米市にある警察資料館には実際に宮城県警察が使用していたC210型のパトカーが展示されており、現存する警らパトカーとしては最も古い。
6代目 R30型(1981年-1985年)
通称:ニューマンスカイライン、鉄仮面(後期型RSの通称)キャッチコピー:New 愛のスカイライン・ニューマン スカイライン・史上最強のスカイライン1981年8月 R30型発売。車格が上がり、型式が30代となる。アメリカ合衆国|アメリカの俳優ポール・ニューマンが広告キャラクターであったため、「ニューマン・スカイライン」と呼ばれた。グレード体系はC210型同様の直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TIシリーズ」の2系列だが、ホイールベースは1種類となった。ボディバリエーションは、4ドアセダン・2ドアハードトップ・5ドアハッチバック・後に追加されるライトバン(エステート)の4種。ハッチバックはスカイライン史上初である。現在は常識となっているテンパータイヤは、このR30型ハッチバックが日本初採用であり、スペアタイヤに空気圧減圧警告灯なども装備されていた。搭載エンジンは、Z18S型(エステート・TI)、Z18E型/Z20S型/Z20E型(TI)、L20E型/L20ET型/LD28型(GT)の7機種。1981年10月 直列4気筒4バルブDOHC 日産・FJエンジン#FJ20E|FJ20E型エンジン(150ps/6000rpm、18.5kgm/4800rpm)を搭載する「2000RS(DR30型)」を追加。GT-Rの再来と期待されたが、FJ20E型が直列4気筒であるがためにGT-Rを名乗らなかったともいわれている。同時にZ18S型を搭載する「エステート」が追加。1982年10月 一部変更。「TIシリーズ」の1800cc Z18型エンジンを直列4気筒OHC CA18型/CA18E型エンジンへ変更(FJR30型)。「TI Lエクストラ」および「GT Xエクストラ」を追加し、「2000RS」に60%扁平タイヤを装着。1983年2月 FJ20E型にターボチャージャーを追加した、日産・FJエンジン#FJ20ET|FJ20ET型(190ps/6400rpm)を搭載した「2000ターボチャージャー|ターボRS(DR30JFT型)」を追加。歴代スカイラインのどれよりも高出力であったことから「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーが用いられる。また、日産は、このモデルにてハコスカ以来となるワークス・チーム|ワークスとしてレースに復帰。刑事ドラマ西部警察の劇用車として、2ドアハードトップが旧モデルに引続き使われていた。最初に2000RS=1台(マシンRS、ターボ車追加後RS-3に名称変更)が登場し、後に2000ターボRS=2台(RS-1.RS-2)が追加された。1983年8月 マイナーチェンジにより後期型へ。前後の意匠変更、大型バンパーの採用等を行う。RSの後期型は薄型ヘッドランプ、ラジエーターグリルレスのデザインにより「鉄仮面」と呼ばれた。パワーランバーサポート・パワーステアリング・パワーウインド・カセットコンポを装備した豪華仕様「2000ターボRS-X(DR30XFT型)」を追加。デカール1983年10月 日本初のAT専用グレードであるNAの豪華仕様「2000RS-X(DR30XFE型)」、および15インチアルミホイール、ブロンズガラス、専用ステッカーを装備する「2000ターボGT-E・S ポール・ニューマン・バージョン(HR30JFT型)」を追加。1983年11月 日産50周年特別仕様車|記念限定車「50アニバーサリー バージョン」を設定。これは2ドアハードトップ2000ターボRS-Xをベースに、めっき|メッキドアミラー、専用紋章|エムブレム、「ハイタッチモケット」と呼ばれる専用の内装(後にオプション設定)を備え、白のほかにガンメタ/赤茶ツートンの専用ボディカラーも用意された。1984年1月 「2000GT-E・Xパサージュ(HR30GAE型)」を追加。1984年2月 インタークーラー搭載モデルである「2000ターボインタークーラーRS/RS-X(DR30JFS/DR30XFS)」を追加。このモデルは「ターボC」と呼ばれる、RS-XターボCでは、前述のハイタッチモケット仕様の内装が選択可能となった。インタークーラー付きFJ20ET型エンジンはグロス表示ながら205ps/6400rpm、25.0kgm/4400rpmを発生させ、いまだに根強いファンを持つ。1984年8月 エンジンの点火系を変更した「プラズマスパークシリーズ」を発売。最強のエンジンでイージードライブが可能になった「2000ターボインタークーラーRS-X A/T(DR30XAS型)」、および「2000ターボGT-E・II(HR30HFT型)」を追加。1985年8月 モデルチェンジによりR31型に移行されるが、5ドアハッチバックはこのモデル限りで廃止となる。エステート(バン)は1990年2月まで継続生産されるが、こちらもこのモデルを最後に廃止された(後継車は日産・アベニール|アベニールカーゴ(1990年5月〜1999年6月)、現在は日産・ADバン|ADエキスパートが販売されている。
Image:R30-4drRS.jpg|後期型RS(リア)
画像:Kinkyu-kodan-skyline.jpg|バン
7代目 R31型(1985年-1989年、クーペ1986年-1989年、ワゴン1986年-1990年)
通称:7th(セブンス)、R31(アールサンイチ)、都市工学スカイラインキャッチコピー:都市工学です。 7th Skyline(セブンス スカイライン)(前期型4ドア)
We Motor Sports. (後期型)ボディバリエーションは、4ドアセダン・4ドアハードトップ・2ドアクーペ・ワゴンの4種。1985年8月 R31型発売。当時のハイソカーブームに便乗し、発売当初はスカイライン初の4ドアハードトップモデルと4ドアセダンしか設定が無く、「史上最強のスカイライン」と宣伝された先代と比較され、「牙を抜かれた狼」「史上最悪(最低)のスカイライン」などと揶揄されたこともあり、スカイラインファンからは不評であった為、翌年にはスポーツモデル(2ドアスポーツクーペ)を追加するに至った。メカニズム面では、ケンメリGT-Rに搭載されていたS20型エンジン以来の直列6気筒4バルブDOHCエンジンで、2ヵ月後にZ31型日産・フェアレディZ|フェアレディZに搭載された180ps(発売当初はグロス値表記で210ps)を発生する日産・RBエンジン#RB20DET|RB20DET型を搭載し、4輪独立操舵システムであるHICASを搭載したモデルである。搭載するエンジンは前述のRB20DET型のほか、直列6気筒がDOHC RB20DE型、SOHCターボ RB20ET型、SOHC RB20E型、SOHCディーゼル RD28型。直列4気筒はSOHC CA18S型の計6機種。サスペンションはフロントがストラット式、リアがセミトレーリングアーム式。但し4ドアセダン・4ドアハードトップの各1800シリーズおよびワゴン全車はリアが5リンク式リジッド。1986年1月 ワゴン追加。ワゴンのGTパサージュターボはスバル・レガシィツーリングワゴンが登場するまでは国内最速ワゴンであった。1986年5月 待望の2ドアスポーツクーペのGTSシリーズを追加。このGTSのCMは速度上昇(70km/h)にて突出するオートスポイラーの機能をふんだんに見せるものであり、キャッチコピーは「そのとき、精悍。」「FOR ELISE MY LOVE SKYLINE」。1986年8月 「4ドアセダン1800エクストラG」を追加。1986年9月 2ドアスポーツクーペに引続き、4ドアハードトップにもGTSシリーズを追加。1987年2月 「2ドアスポーツクーペGTSツインカム24VターボNISMO」を限定1000台にて設定。イタルボランテステアリングホイール、バケットシート等を装備する。1987年5月 「4ドアセダン1800エクストラGリミテッド」、および「4ドアセダン1800Gリミテッド」を追加。1987年8月 マイナーチェンジ。4ドアのフロント周りの造形を2ドアスポーツクーペと共通するデザインへ変更する等、外観に手が入る。CMでは「We Motor Sports。」のコピーで、峠道を疾走するシーンや当時のグループAのマシンを登場させ、走行機能を前面に出すCMに変更。曲もヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハの「トッカータとフーガ」のアップテンポ編曲版に変更する。マイナーチェンジと同時に、当時のグループAのホモロゲーションモデルとして「2ドアスポーツクーペGTS-R」を800台限定で設定。オートスポイラーを固定化し、大型スポイラーを装備、さらにターボタービンの変更等のチューニングを施し210ps(ネット値)を発生させる。1987年11月のインターTECにてデビューし、全日本ツーリングカー選手権をはじめ国内レースを席巻、以降に復活するR32型GT-Rの布石を築いた。このGTS-R、800台限定と言われながら400台を日本唯一のR31専門チューニングショップであるR31HOUSEが面倒を見ている。そのため同店店長である柴田達寛氏は「半分はありえない、もしかしたら800台以上あるのでは?」とコメントしている。1988年5月 日産の子会社であるオーテックジャパンが独自にエンジンや足回りをチューニングし、GTS-Rと同じ210(ネット値)psを発揮する限定車「GTSオーテックバージョン」が登場(限定200台)。注文数が大きく上回り、発売日には抽選で販売した。なお、カタログモデルでタクシー仕様車が設定されたのは、同型が最後となった(エンジンはCA18P型LPG。小型タクシーの全長の規定によりマイナー後もフロント・リヤの変更は無かった)。オーストラリアでは日産・ピンターラ|ピンターラ (:en:Nissan Pintara|Pintara) という名称で現地生産された。2代目ピンターラは日本では日産・ブルーバード|オーズィとして輸入車 (日本)#逆輸入車|逆輸入された。また、コンプリートカーメーカーのトミーカイラがオーストラリア向け車両に搭載されていた3000ccSOHCのRB30E型エンジンを搭載し、コンプリートカートミーカイラM30として市販した。これは、日本初の公認チューニングカーとしてトミーカイラが世に出した最初のモデルでもある。このM30は2007年2月時点での日本での現存が8台(R31HOUSE調べ)という超稀少車種となっている。また同じくコンプリートカーとしてM20も存在した。こちらも生産台数30数台という稀少車種である。
Image:Nissan Skyline R31 2000 GTS-R 003.jpg|GTS-R(リア)
8代目 R32型(1989年-1994年)
通称:R32(アールサンニィ)、超感覚スカイラインキャッチコピー超感覚スカイライン・とんでもないが、とんでもいい(前期型)
: あたたかな魂。・I love you,SKYLINE.(後期型)GT-R以外の系列としては最後の5ナンバースカイライン。当時日産が推し進めていた901運動の究極の目標として開発された。ボディタイプはR31型まで存在した4ドアセダン、およびステーションワゴンが姿を消し、ピラードハードトップ構造の4ドアスポーツセダンと2ドアクーペの2本立てとなった。4ドアハードトップはR32型を最後に消滅した(R33型以降は窓枠付きのセダン)。R32型では、16年ぶりにGT-Rグレードが復活し、日本国内のみならず海外の自動車レースを席巻した。内に秘めたポテンシャルではフェラーリを上回ると絶賛された。かつてのGT-Rは自然吸気の直列6気筒4バルブDOHC 2000ccエンジンを搭載する後輪駆動(FR)であったが、復活したR32型GT-R(BNR32型)では、2568ccの直列6気筒4バルブDOHCエンジンに2基のセラミックス製ターボチャージャー|ツインターボ(日産・RB26DETT|RB26DETT型)を搭載し、FRをベースとしつつも、高度な電子制御によって4輪に自在に駆動力を配分できる4輪駆動システム(ATTESA E-TS|アテーサE-TS)を搭載する4輪駆動車とされた。グループAホモロゲーションモデルとして、タービンをセラミック製から耐久性の高いメタル製へ、フロントバンパーをダクト付き(通称ニスモダクト)等の変更を加えた「GT-R ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO」も限定発売された。以前の車では耐久性や扱いやすさなどを犠牲にしなければ達成しえなかったほどの高い出力をマフラー交換やブーストアップといった比較的軽度のチューニングで発揮できることから、現代の日本の車両チューニング文化の草分け的存在といっても過言ではないだろう。GT-Rの復活ばかりが注目され陰に隠れる形になってしまった標準モデルだが、自動車評論家やレーサーからは最もバランスの取れたモデルとして歴代のスカイラインの中でもきわめて評価が高い。しかし、先代と比べてかなり狭くなった車内空間(特に後部座席)でファミリーユースが減少、新たな兄弟車種であるセフィーロの存在、そして車の流行がミニバンやRV車に変わっていった時期とも重なり、販売台数は落ち込んでしまう。なお、前期・後期共に自動車教習所#教習車|教習車仕様が存在していた。
パトロールカー|パトカー仕様のセダンGTの設定はこの代が最後となる。(YHR32型車が1991年8月まで発売。)
[1991年にはV6エンジン(VG20E)を搭載する日産・グロリア|グロリアが採用されたが、その後同じRB20Eを積む日産・クルー|クルーを投入。]
。
標準モデルの搭載エンジンは215psまでパワーアップされたRB20DET型を筆頭にRB20DE型、SOHCのRB20E型、4気筒のCA18i型(R32型で4気筒モデルは消滅)もあるが、R31型まで設定されたディーゼルエンジンは設定されない。中でもR32型のGTS-4にはRB20DET型エンジンにGT-Rと同じアテーサE-TSを組み合わせているのでGT-R並の高性能も味わえた(実際には鉄パーツ多用による重量と、ブリスターフェンダー非装着なのでトレッドの細さがあるが)。後にマイナーチェンジで2500ccのRB25DE型を搭載し、5速ATを組合わせたGTS25も追加され、GT-R以外の3ナンバーモデルも発売されたが、A31型日産・セフィーロ|セフィーロの様に全車3ナンバー化はされなかった。またこのモデルから、すべてのグレードにおいて丸型4灯テールランプが採用されている。1992年にオーテックジャパンより、4ドアスポーツセダンGTS-4をベースに、GT-R用RB26DETT型をNA化し、鍛造ピストンや高回転カムシャフトを採用するRB26DE型(220ps/6800rpm、25.0kgm/5200rpm)と4速ATを組合わせた「オーテックバージョン」
[スカイラインオーテックバージョンR32公式サイト]が発売された。その他、コンプリートカーメーカーのトミーカイラがオーストラリア向け車両に搭載されていた3000ccSOHCのRB30E型エンジンをRB26DETT型のパーツを流用しDOHC化。NAながら280psを発揮させるRB30DE型を独自開発し、オーテックと同じくGT-Rではなく2ドアスポーツクーペGTS-tの車体に搭載しコンプリートカーとして市販した。スカイラインの生みの親である桜井眞一郎率いるS&Sエンジニアリングの手により、R32型GT-Rの優良中古車をベースに、R33型とR34型の純正パーツを使用し制作された「BNR32 S&S Limited Version」がインターネット限定で32台販売され、即時完売した。社内での開発コードはRXだった。当初、メーカーの広報車の一部には、「RX」のロゴとストライプを組み合わせたデカールが貼られていた。また、そのストライプデカールはオプション設定されてた。
9代目 R33型(1993年-1998年)
通称:R33(アールサンサン)、GT-9(ジーティーナイン)キャッチコピー:
: SKYLINE GT-9 (スカイライン ジーティナイン)・スーパーGT-R、・あした、スポーティーに生きる/日本のグランドツーリングカー(前期型)
: 男だったら、乗ってみな。→キメたかったら、乗ってみな。・好きだったら、乗ってみな。(後期型)
: マイナス21秒ロマン・最新のGT-Rが、最高のGT-Rだ。・私たちの国には、GT-Rがあることを誇りたい。(GT-R)ボディをふたたび大型化。主力は2.5Lとなり、全車3ナンバーとなった。GT-Rは1995年1月に発売された。R32型に比べて全体的に大型化された事により、居住性は大幅に上がったが同時に車両重量も増加した。特に発売初期の頃はGT-Rも含めR31型程ではないが評価・評判共にあまり芳しくなかった。R33が発表されたとたんに、在庫のR32に注文が殺到したというエピソードもある。しかし今となってはその大柄なボディが生み出す直進安定性と、当時の不人気ぷりから来る値ごろ感(R32、R34が年式から考えられる値段より遥かに高値安定状態)から、お買い得モデルとして認識され始めている。購入後の整備等を鑑みると歴代スカイラインの中でも、最も安く遊べるモデルである。サスペンション形式はR32と同じくマルチリンク式サスペンション|マルチリンクだが、前アッパーアームをI型からA型に変更、後ダンパーのストローク増、などの改良が図られている。GT-R含むクーペ全てとセダンの前期モデルは、バッテリーをトランク奥に設置するハイトラクションレイアウトを採用している。搭載される専用バッテリーは高価だが大した容量を持っていない。開発当初はクーペをショートホイールベースにする予定だったが、終盤でセダンとのシャシー共用によるコストカットを求められた。そのためかクーペの外観は間延びしたものとなっており、ドアもかなりの大きさを持つ。エンジンのラインアップはGT-R専用となる2.6L RB26DETT型、2.5L RB25DET型とRB25DE型、および2.0L RB20E型(R33型唯一のSOHCエンジン)の4タイプであった。トランスミッションは5速MTと5速AT(5速ATはマイナーチェンジにて4速ATに変更される)であった。R33型デビュー直後、東京モーターショーでGT-Rのプロトタイプが発表されたが、市販モデルではフロント周りを見直された。そして一般車にしては前代未聞の東京オートサロンにてデビュー。歴代のGT-Rでは初めてテレビCMがつくられ、ニュルブルクリンクオールドコースでのラップタイムが7分59秒だったことから、R32型GT-Rとのタイム差を元に「マイナス21秒ロマン」というキャッチコピーが用いられた。
[このマイナス21秒と言うラップタイムは本来ならば一般に市販車として量産されているフルノーマルでと言う意味であるが、(後にR34型のニュルラップタイムが公表されなかったのと重なり)、過給圧アップや足回りのチューンを施していたと言う疑惑が持たれていた事もあった。この事についてはベストモータリング1995年4月号]
で土屋圭市も自身が所有していたフルノーマルのVスペックと広報車と比較して車高・キャンパー角が明らかに違う事を言及しており、激怒したというエピソードがある一般的には問題が無いが、チューニングカー|チューニングした上で非常にハードな走行を繰り返すと、Cピラー根元がストレスに耐え切れず、曲がってしまうというトラブルが報告されている。GT-Rの車両形式が前回のBNR32からBCNR33へとアルファベットが変更された。前回はB=RB26DETT、N=アテーサ+HICAS、R=スカイラインの意味を持たされていた。R33ではB=RB26DETT、N=アテーサ、C=HICAS、R=スカイラインの意味なのだが、このモデルにだけ"C"がつくのは、R32型・R34型共にアテーサ装着車にはHICASが自動的に装着されていたのに対し、R33型GT-R以外のモデルではアテーサ装着車でもHICASが装着されていないモデルも存在したことにより、差別化のためCが表記されている。しかし、Option (雑誌)|OptionではR34でまたC=HICASが社内記号での判断となり消滅した事と合わせ、「C=日産・ローレル#7代目(C34型 1993年-1997年)|C34ローレルとのシャーシ共用を意味してるのではないか?」と書かれていた。しかし実体は上記の通りであり、単なる都市伝説と考えるのが正解である。発売後、NISMOからは400Rと呼ばれるコンプリートカーが限定車として44台販売された(限定台数は99台であったが、その前に販売が終了)。当時の販売価格は1200万円である。この400Rの名前の由来は搭載されたエンジン、ニスモが「RB-X GT2」と呼ぶ2.8L排気量アップ版の最大出力400psに由来する。1995年1月 一部変更。運転席SRSエアバッグ、およびテールパイプフィニッシャーを標準装備としたほか、外装を一部変更。セダンのラジエータグリル、ヘッドランプ周りをスモークシルバーに変更し、GTSタイプG系にアルミホイールを標準装備化。クーペのラジエータグリルをボディカラー化し、「エアロパッケージ」を設定。「セダンGTS25タイプG・SE」および「セダンGTS-4タイプG」を追加。さらに、BNR32型が継続販売されていた「GT-R」がフルモデルチェンジしBCNR33型となる。桟の無いラジエータグリルにGT-Rのエンブレムを配し、角度変更可能なリアウイングを採用した。RB26DETT型エンジンの出力は280ps/6800rpm、37.5kgm/4400rpmとなる。グレードは標準車のほか「GT-R Vスペック」、「GT-R VスペックN1」の3種類。N耐参戦ベース車である「Vスペック N1」ではリアウイングがカーボン製となる等、差別化が図られている。1996年 ビッグマイナーチェンジ。外装が大幅に変更された。発売当時、テレビCMで「男だったら、乗ってみな。」というセリフとキャッチコピーを展開したところ、クレームがつき、映像はそのままで「キメたかったら、乗ってみな。」に差し替えられ、その後「好きだったら、乗ってみな。」というバージョンも作成された。後期型GT-RにもCMが作られたが、「最新のGT-Rが、最高のGT-Rだ。」という、R32以前のコアなファンの心理を逆なでするコピーが不評で、後に「私たちの国には、GT-Rがあることを誇りたい。」となるなど、パブリシティにおいても紆余曲折のあったモデルであった。1997年10月 第32回東京モーターショーに「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を出展。スカイライン生誕40周年を記念した限定車。BCNR33型GT-Rをベースに4ドアのボディを載せた、PCG10型GT-R以来の4ドアGT-Rである。2ドアGT-Rのブリスターフェンダーを再現するために、わざわざリアドアとリアフェンダーのプレス型を作り直す程であった。1998年1月 「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を発売
[スカイラインGT-R 40th ANNIVERSARY AUTECH VERSION 公式サイト]。型式は「BCNR33改」となる。村山工場で組み立てされた後、座間事業所にて仕上げを施され、出荷された。神奈川県警が白黒、埼玉県警が覆面パトカーとして2台ずつ導入している。GT-Rのみ100台限定でイギリスへ輸出されている(下記「GT-Rとは」参照)。そして、日産がル・マン24時間レース参戦用に「GT-R LM」と呼ばれるホモロゲーションマシンも1台だけ製作された。この頃のGT-RやJZA80トヨタ・スープラ|スープラRZ等のスポーツモデルは出力こそ自主規制値の上限である280psとなっているが、実際にはマフラー等で出力を絞っているだけであり、マフラー等の吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンでも実測値で400ps弱という出力が発生してしまうため
[driver 2007年4月5日号「やっぱりスポーツカーに乗らなきゃ」57ページを参照。]、自主規制は有って無いような物となっている。
Image:R33sedan.jpg|セダン(後期型)
Image:Nissan Skyline R33 GT-R 002.jpg|GT-R(リア)
画像:Skyline GT-R Autechversion 40thanniversary.jpg|GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー。パトカー仕様(フロント)
画像:Image-Skyline GT-R Autechversion 40thanniversary rear.jpg|GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー。パトカー仕様(リア)
10代目 R34型(1998年-2001年、GT-R1999年-2002年)
通称:R34(アールサンヨン)キャッチコピー:BMWか。 メルセデス・ベンツ|メルセデスか。 新しいスカイラインか。(ティザー広告)・The Driving Body ボディは力だ。(前期)・その名を聞いて、ときめくクルマは少ない。(後期)・人に翼を。(GT-R)1998年5月 R34型発売。先代の反省からかホイールベースを短縮し、「ボディは力だ」のCMキャッチコピー通りにボディ剛性が向上され、同時に安全性も向上された。搭載するエンジンは全て直列6気筒DOHCであり、2.0LのRB20DE型、2.5LのRB25DE型、および2.5Lターボ付のRB25DET型の3種類。マニュアルモード付ATを2.5L 2WDモデルに設定した。MTはクーペの全仕様、セダンのターボモデル、4WDモデルおよび2.0Lモデルに設定された。標準での最スポーツモデルでRB25DET型を搭載する「25GT-t」はついに280psを発揮するまでに至ったが、クラス下の三菱・ランサーエボリューション|ランサーエボリューションやスバル・インプレッサ|インプレッサが既に同程度の出力を達成していただけに、パワー重視のユーザーからはあまり興味を持たれなかった。25GT-Vや25GT-tに搭載されていた4ポッドブレーキキャリパー|キャリパーとブレーキローター|ローターが、他の日産車に簡単な方法で移植可能で、社外品のブレーキまでは必要ないが、ノーマルよりは強化したいというチューニングカー乗りには定番チューンとされている。また、純正オプションのフロントバンパー、リアウイングはアフターパーツと見紛うほどの派手さを誇る。1999年1月 R34型GT-R発売。キャッチコピーは「人に翼を」。前回同様に東京オートサロンデビューとなったが、有名なショップには事前に納車され、若干チューニングが施された車が展示され、ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMOからはコンプリートカー状態になったものが展示されていた。Option (雑誌)|Optionにはノーマル状態の車が紙面に登場する前に、BLITZの手によってカラーリング、ホイール交換、シャコタン|車高が下げられた状態で登場してしまっている。このR34型は第2世代最後のRだけに歴代GT-Rの中でも究極のGT-Rと言える進化を遂げた。Vスペックには量産車初のオートクレーブ工法で形成されたカーボンディフューザー等のアドバンスドエアロシステムを採用、鍛造18インチホイールを装備、トランスミッションは独ゲトラグ社と共同開発した6速MT、ブレーキはイタリアの名門ブレンボ製を標準装備。エンジンは第2世代最後となるRB26DETT型を搭載。自主規制枠一杯の最大出力280psはそのまま(ちなみにエンジンの実測馬力は約330ps。タービンを容量一杯まで使い切る事により550psを発揮している)ではあるが、R390GT1で培われた技術を活用し、最大トルク40.0kg/mを達成する等、究極のドライビングプレジャーを名乗るに相応しい車に進化した。その結果、当時COOとして日産を立て直した現日産最高経営責任者|CEOであるカルロス・ゴーンの口から「日産で最も好きな車」と言わせた。車内においてはコンソール中央にマルチファクションディスプレイと呼ばれる車両の状態を確認するモニターが搭載され、水温、ブースト圧などを表示することが出来る。Vスペックとノーマルでは多少表示項目が異なる。1999年2月 4ドアセダンに電動SUPER HICAS、リヤビスカスLSD等、ターボ車同様の足回りを持つ「25GT-V」を追加。R34型登場時には設定のなかった2WDセダンのNA 2.5LとMTの組み合わせとなる。1999年9月 2ドアスポーツクーペ・4ドアセダンともにリヤビスカスLSDをヘリカルLSDに変更。また細かいところでは、エンジンカバーに書かれた「Turbo」「NEO STRAIGHT 6」の文字に施された赤い塗装が廃止されたことがカタログから読み取れた。2000年1月 2ドアスポーツクーペに「25GT-V」を追加。GT-Rに第33回東京モーターショーに参考出品された特別塗装色ミッドナイトパープルIIIを3ヶ月期間限定で設定。2000年8月 マイナーチェンジ。内外装を一部変更したほか、RB25DET型の5速MT車にて、エンジンのトルクアップを施した。ただし、このマイナーチェンジ車はGT-Rを除きわずか10ヶ月しか販売されていない。2000年10月 GT-Rがマイナーチェンジ。内外装の一部変更、およびVスペックに替わりVスペックIIをラインナップ。量産車としては初のアメリカ航空宇宙局|NACAダクト付きカーボンファイバー製ボンネットフードを採用。その他色の変更、アルミペダル化、ターンシグナルランプのクリア化が行われた。なお、この代のGT-Rはイギリスでも100台限定ながら輸出販売されている(下記「GT-Rとは」参照)。後期型へのマイナーチェンジ直後、工場閉鎖のため2000年9月29日(GT-Rは8月5日)に村山工場での生産を終了し、「工場5」のコーションプレートを持つ車両は絶版となる。以降は栃木工場が生産拠点となる。GT-Rの村山最終生産車両は同車開発主管の渡邊衝三が保有する。2001年5月 「GT-R M・spec」追加。リップルコントロールショックアブソーバーを採用したほか、専用の本革シートを装備し、専用色を設定した。2001年6月 RB型エンジン搭載最後のモデルで3年という短いサイクルでV35型へバトンタッチ。その後もGT-Rは継続販売された。2002年1月 8月のGT-R生産終了を発表。これは、平成12年排出ガス規制に適合しない車種が、引き続き生産出来る猶予期限が切れる為である。同時に最終特別限定車「M・spec Nür」、および「V・spec II Nür」を設定。前者が630万円、後者が610万円である。「Nür」とは、GT-Rもテスト走行で使用した、ドイツのニュルブルクリンクから命名された。この「Nür」にはヘッドカバーを金色塗装されたN1仕様エンジン、N1タービン、シャフト、ピストンなどのN1用パーツを使用し、300km/hスケールのスピードメーターを装備。通常ならばステッカー式の後部グレードステッカーが立体エンブレムになり、コーションプレートもゴールドになっている。さらには専用色である「ミレニアムジェイド」を設定している(「V・spec II Nür」はシリカブレス、「M・spec Nür」はベイサイドブルーがラインナップには無い)。「Nür」は元々1グレード300台限定で発売される予定だったが、1月の発表後に新聞や車雑誌などで大きく宣伝されていた為か、問い合わせが殺到し急遽500台に増産が決定した。しかしそれでも予約希望者数に対応できないため、最終的に両グレードで計1000台の生産が決定した。パンフレットには300、500と印刷された上に1000のシールが貼られている(ちなみに受注に際して海外からの注文もあった程)。1月24日発表日に即日完売(発売日は2月26日)してしまうという、第二世代GT-Rの劇的なラストを飾った
[三菱・ランサーエボリューション|ランサーエボリューションも限定販売→増産と言うパターンはよく採られているが、即日で完売した例は最近ではNür以外には無い。]。このNürもGT-Rの名にふさわしく東京オートサロンでの登場だったのだが、使われたのが室内試乗用車両であり、しかもノーマル状態だったため、ほとんどの人に気づかれていなかった。2002年8月 平成12年排出ガス規制非適合のためGT-R生産終了。2005年 NISMOより、R34型GT-Rの最終形態とも言える、2800cc化されたRB26DETTを搭載するニッサン・モータースポーツ・インターナショナル#NISMO R34GT-R Z-tune|Zチューンが20台限定1774万5000円で発売された。(既に所持しているR34GT-Rを工場に持ち込みチューンする「パーツコンバージョン」は1312万5000円である。ただしカラーはベース車両のままでハードコートも無くなる。また、ミッドナイトパープル色は受付できない)このZ-チューンは、最高出力500psを誇るモンスターマシンでありながら、ストリートを意識した仕様になっている。ホイールなどはZ-チューン仕様のLMGT4を使用している(このLMGT4は後に限定で市販されている)。
車重がノーマルより重いのにも関わらず、街乗りもまったく苦にしない上に、0-400加速にて10秒フラットを記録できるなど、究極のロードゴーイングカーの名にふさわしい仕様になっている。
: 2007年3月、ベース車の確保が困難(程度の良い中古車が手に入らなくなった)になった事を受け、生産が終了した。総生産台数はプロト1台、保存車1台、国内13台、海外4台の計19台であった。このR34GT-Rはアメリカ映画ワイルドスピードX2にも序盤の主力車種として登場しており、アメリカ本国は元よりイギリス、オーストラリア、フランス、香港などでも知られている。また、日本でGT-Rを盗み、アメリカなどのブラックマーケットにて1000万円単位で取引されることもあるという負の事実もある。また特にこのR34GT-Rは約1万1,000台しか生産されていないことからプレミア価格が付いて居ることがあり、ニュルで600〜800万、VスペックIIでも450〜600万、走行状況によっては700万以上も珍しくなく、余程の事(事故車等)が無い限り初期標準車であっても300万円を下回ることはまず有り得ないという異常な現象が発生している。(NSXでも同じ現象が発生しているが、需要面等で同様の意義を持っていると思われる)2004年度の盗難車ランキングにおいてスカイラインは9位にランクインしており、その大半はGT-Rである。また、全日本プロドリフト選手権|D1グランプリにおいて野村謙選手が使用し活躍していることから、4ドアGT-tの人気、相場も近年上昇している。なお、2ドアクーペは交通取締り用のパトカーとして数台採用された。4ドアセダンのGTターボは交通取締り用のパトロールカー|覆面パトカーとして50台が導入された(前期型)、しかし少数ながら後期型も埼玉や和歌山などの高速隊には存在している。その後捜査用車両としてNAエンジンの4ドアセダンが127台導入された、最近では交通取り締まり用はトヨタ・クラウン|クラウンの覆面パトカーにその座を譲る事が多くなった。GT-Rのパトカーは現在埼玉県警察|埼玉県警のみ所属しており、白黒車4台とシルバーの覆面車1台体制で東北自動車道で現在でも使用されている
[神奈川県警察|神奈川県警もR32、R33と導入しているが、R34型は導入していない]。
Image:Japanese NISSAN SkylineR34 GTR police car.jpg|GT-R V・SpecII(埼玉県警パトカー)
Image:Nissan Skyline R34 GT-R N?r 002.jpg|GT-R M・SpecII N?r(リア)
Image:Nissan Skyline R34 poilice.JPG|前期型25GT-tの覆面パトカー(北海道警察)
11代目 V35型(2001年-2006年、クーペ2003年-2007年)
通称:V35(ブイサンゴー)キャッチコピー:The Premium Sports(ザ プレミアム スポーツ)、SHIFT_Driver's confidence1999年10月 第33回東京モーターショーに、ポルシェデザインのインダストリアルデザイン|スタイリングによるコンセプトカー、「XVL」を出品。スカイラインとは別のモデルとして発表され、日産の新しいスポーツセダンとして開発が始められた。2001年6月 「XVL」を、ルノー上層部の意向でV35型スカイラインとして発売。10代目の項の通り、R34型登場から3年後にV35型が登場したが、先代までのフルモデルチェンジのサイクルと比較して短い。この型から、従来スカイラインGTの象徴の一つであった直列6気筒エンジンに替わり、V型6気筒直噴ガソリンエンジンのVQ30DD型、およびVQ25DD型エンジンを搭載。トランスミッションは4速および5速オートマチックのみの設定。他の同クラスの国産車と同様に180km/hのスピードリミッターが自主規制で装備されているが、多くのスピードリミッターが180km/hに達すると燃料カットが働いていったん減速するのに対し、V35のスピードリミッターは180km/hのまま巡航できるシステムになっている。また、丸目のテールランプが廃止(後のマイナーチェンジで復活)されたことなどから、新世代のスカイラインの在り方を表現したモデルといえ、プレミアム・スポーツセダンとしてみた場合、性能的にポテンシャルは極めて高い。しかしながら、「新世代のスカイライン」としての外観とそれに付随するイメージが、結果としてかつてのスカイラインファンを遠ざける結果となってしまった。旧来のスカイラインファンからはスタイリングや乗り味が総合的に不評で、「''これはスカイラインではない''」等と言われる事が多く、某カーレーサーも「''あれはセフィーロだよ''」とも発言していた。そのため日本市場では大きめのボディサイズやセダン需要の低迷も加わり販売は低迷した。ただし先述の通り、元々別の車種として開発されたモデルなので、旧来のファンが「スカイライン」としての違和感を覚えたのは当然という意見もある。ただし、日本国外にも正規輸出され、国外では日産の上級ブランドであるインフィニティ (日産自動車)|インフィニティの販売網により、インフィニティG35として販売され好評である(「インフィニティG20」(日本名日産・プリメーラ|プリメーラ)の後継車である)。前述の理由などにより、レースシーンに登場せず、スカイラインとしては走りのイメージが少ないためチューニングベースとしての人気は低い。しかし、この「遅そうな」スカイラインのイメージを変えようとトップシークレットはツインターボ、VK45DEスワップ、トランスアクスル化しV35GT-Rを制作した。ドイツのアウトバーンで最高速341km/hを記録した。埼玉県警察では高速道路交通警察隊に350GT-8の白黒パトカーが導入されており、250GT・300GTも一部の県で交通取締用白黒・覆面パトカーとして導入されている。また、国費で全国の警察本部に350GTの警護用覆面パトカーが、機動捜査隊用に250GTが捜査用覆面パトカーとして導入されている。茨城県警察では研修用に導入されている。このモデルから、スカイラインのエンブレムは、日産のエンブレムに変更になった。2001年9月 4WD車「250GT FOUR」を追加。2002年1月 北米国際オートショーに北米向けV35型「インフィニティ G35」2003年モデルを出品。VQ35DE型エンジンを搭載する。2002年2月 セダンに「350GT8」を追加。エクストロイド無段変速機|CVTのみの設定で、国内初となる8段変速マニュアルモードを搭載。2002年3月 北米にてインフィニティ G35発売。同月 第102回ニューヨーク国際オートショーに、V35型とプラットフォームを共用する2+2クーペである「インフィニティ G35スポーツクーペ」を出品。2002年11月 北米にてインフィニティ G35スポーツクーペ」発売。搭載するエンジンはVQ35DE型エンジンのみ。同月 アメリカ モータートレンド誌による2003年カー・オブ・ザ・イヤーに「インフィニティ G35スポーツセダン」および「インフィニティ G35スポーツクーペ」が選ばれる。2003年1月 「スカイラインクーペ」追加(MT車は2月発売)。搭載するエンジンはVQ35DE型エンジンのみ。駆動方式は2WD(FR)のみ。クーペでは丸型テールランプが復活している。あわせて、セダンも内外装を一部変更し、グレード体系の見直しを行った。2003年6月 セダンに「350GTプレミアム」、および「350GT」を追加。6速MTのみの設定。2004年11月 セダンをマイナーチェンジ。内外装の変更で丸型テールランプが復活したほか、VQ30DE型エンジン搭載モデルを廃止しグレード体系を見直しするも、売り上げの回復には至っていない。クーペについても一部改良し、19インチホイールを設定。2005年7月 韓国にて「インフィニティG35セダン/クーペ」を発売。2005年10月 第39回東京モーターショーにリファレンス・モデルとしてクーペのマイナーチェンジ版とされるものを出展。2006年11月 V36型の発表・発売によりセダンの生産終了。クーペは継続生産。2007年8月 クーペの販売終了。この2ヵ月後にV36型クーペが登場している。M35型日産・ステージア|ステージア、Z33型日産・フェアレディZ|フェアレディZ、および日産・フーガ|フーガはV35型のFMプラットフォームから派生したモデルである。セダンはエンジンがVQ35DE型・V6・3500cc(272ps)とVQエンジン#VQ25DD|VQ25DD・V6・2500cc(215ps)の2タイプで、前者のトランスミッションはCVT、6MT、5ATの3タイプから選べる。クーペはエンジンがVQエンジン#VQ35DE|VQ35DE型・V6・3500cc(280ps)のみで、トランスミッションは6MTと5ATの2タイプがある。
Image:V35.jpg|V35スカイライン中期型(リア)
Image:Skyline 250GT unmarked car rear.jpg|後期型250GT(リア)
画像:Nissan-skyline coupe v35-rear.jpg|クーペ(リア)
画像:Japanese NISSAN SkylineV35 3.50GT police car.jpg|350GT-8のパトカー(埼玉県警察)
Image:Nissan Skyline V35 2.jpg|前期型覆面パトカー(北海道警察)
12代目 V36型(2006年-、クーペ2007年-)
キャッチコピー:日本のクルマに、ときめきが帰ってくる。(セダン)、日本に、クーペのときめきを。(クーペ)
シフトワード:SHIFT_passionときめきをシフトする。2006年4月 ニューヨーク国際オートショーで輸出仕様である新型インフィニティG35セダンが出展される。この時点でクーペはコンセプトモデルの発表だった。2006年11月20日 日本発売。駆動方式はFRの他にAWD(アテーサE-TS)が設定され、エンジンは改良型VQエンジン(約80%の部品が新設計)のVQ35HR・V6エンジン|V6・DOHC・3500cc 315馬力(232kW)/6800rpm 36.5kgm(36.5N・m)/4800rpm とVQ25HR・V6・DOHC・2500cc 225馬力(165kW)/6800rpm 26.8kgm(26.8N・m)/4800rpm を搭載
[HRは高回転型(''High Revolving'')の略。]
。
北米仕様のインフィニティG35セダン向けVQ35HRは2007年1月米ワーズ社の「10ベストエンジン」を受賞した。VQエンジンとしては13年連続の受賞で、このような長い期間の連続受賞は単一のエンジンとしてはきわめて異例のことである。スポーツグレードである350GT typeSPと350GT typeSには世界初搭載の四輪制御システム「4輪アクティブステア (4WAS) 」をメーカーオプション設定。ミッションは5AT(北米向けG35は6MTもある)で、パドルシフトの設定もある。このパドルシフトはマグネシウム製とすることで軽量化と剛性の強化を、本革張りとすることで質感の向上を図っている。一方で位置に関しては、誤操作を防ぐ配慮かステアリングホイールからやや遠い位置にあるが、一部の批評家にはこのことが不評である。ほかにスイッチ照明付きプッシュエンジンスターターを全車標準装備としている。全高は2WDモデルでV35より20mm低くなり、スポーティな印象がました。各所にインフィニティのデザインモチーフや歴代スカイラインのモチーフをあしらい、フロントのデザインは日産・フーガ|フーガを連想させるようなデザインになっている。グレード間の外観差はフーガのGT系とXV系のように明確ではないが、スポーツグレードの350GT typeSPと350GT typeSは専用スポーツバンパー及び専用スポーツバンパーグリルとなる。ナビゲーションは日産初のハードディスクドライブ|HDDタイプが設定される。エンターテイメント機能として内蔵HDD(30GB)に最大約3000曲分もの音楽データを収録可能なミュージックボックスとDVD及びコンパクトフラッシュの再生機能がある。発売翌年にオーディオ機能に小変更が行われBluetoothオーディオ対応となった。ディーラーオプションのナビゲーターは設定されていない。オーディオにはBOSE社製のシステムを採用し、車内7組11個のスピーカーをスカイライン専用に新設計。これはHDDナビとのセットオプションとなる。基本の再生システムは250GT/250GT FOURにはスカイラインホログラフィックサウンドシステムII、他のグレードはスカイラインホログラフィックサウンドシステムIが標準装備される。IとIIの違いははCDプレイヤー(II)かインダッシュ6チェンジャーCDプレイヤー(I)かだけである。インテリアには本木目(オプション・材質はビュバンガ)と本アルミニウム|アルミのパネルにエクリュ、ブラック、フォーブの内装色が選べる。また、フーガで好評のインパネ アナログ時計を全車標準装備する。2007年4月のニューヨーク国際オートショーでG37クーペが発表された。2007年10月2日クーペ発売開始。エンジンはVVEL|VVEL(ブイベル)
[バルブ作動角・リフト量連続可変システム]を採用した3700ccのVQ37VHR(333ps/7000rpm)を搭載。セダンには無かった6速MTも設定され、日本初となる歩行者との衝突時に瞬時にボンネットを浮かせる「ポップアップエンジンフード」も搭載された。2007年11月27日、セダンに「250GT Type S」追加。同時に、スカイライン生誕50周年記念として専用の刺繍入り赤本革シートとシリアルナンバープレート等が付いた期間限定車「50th Limited」を設定。2008年3月までの期間限定受注販売。また覆面パトカーとして全国の警察本部に警護用として350GTセダン、機動捜査隊用として250GTセダンが配備されており、交通取り締まり用として埼玉県警察高速道路交通警察隊に4台の350GTセダンが配備されている。日産のプレスリリース
[新型スカイラインの受注状況について日産自動車プレスリリース]によると、発売から約1ヶ月間のごく好調な新型スカイラインの受注は中高年層に支えられており、29歳以下の購入者は3%程度となっている。V36型はかつてのスカイラインファンを再び呼び戻すことには成功したものの、スポーツカー離れの進む若い層をいかに獲得するかが、これからの日産の課題となっている。
Image:SkylineCoupeV36rear.jpg|クーペ(リア)
Image:V36interior.jpg|車内(セダン・本木目パネル・AT仕様)
Image:SkylineCoupeV36interior.jpg|車内(クーペ・本アルミパネル・MT仕様)
GT-Rとは
GT-Rは、C10ハコスカ型から続くスカイラインの中でもサーキットでの使用を主眼にして開発(メーカーチューン)された車両である。乗用車ベースでありながらレースで勝つことを使命とし、スカイラインの他のグレードと違った装備やエンジンを搭載し、他の国産スポーツカーにも影響を与えるほどの車である。それゆえに熱狂的なファンが多く、エンジニアにも特別のこだわりがある。そのためにGT-Rの名を冠することが許されなかったモデルもあり、それがGT-Rの存在をより特別のものとしている。
「世界的に有名な3つのアルファベットがあります。G、T、Rです。私はここでお約束いたします。必ずGT-Rは復活します。」と2001年東京モーターショーのプレス・カンファレンスでカルロス・ゴーンCOO(当時)が“GT-Rコンセプト”を前に、プレゼンテーションの冒頭で発言した。徹底した合理化戦略ばかりが取り上げられることが多いゴーンにこのような内容を託したことからも、この車に懸ける日産の姿勢が伺える。この約束をカルロス・ゴーンは果たし日産・GT-Rを10月24日第40回東京モーターショーで量産型が発表され12月6日に販売される事となる。
特にR32型からではあるが、海外のレースで大いに活躍した功績から、Rの評判は国内のみならず世界にもその名を知られており、ゴジラ(Godzilla)と呼ばれる程浸透している
[最初にゴジラとして紹介したのはオーストラリアのWheels magazineである。]。それ故に、スカイラインはほぼ日本国内専用車|国内販売専用車であるが、R32、R33、R34のGT-Rが輸出業者の手により海外へと渡っている。評判は非常に高く、正規輸出としてもR33GT-Rはモデル末期に100台限定で、さらに、R34GT-Rも同じくV-specが100台限定ながらイギリスで販売された。これは日産自動車側に「海外でも販売して欲しい」と言う要望が強かったことと、ル・マン24時間レース|ル・マン24時間耐久レースに、「ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO GT-R LM」として出場した事によりヨーロッパでの知名度が上がった事を受けてのことである。イギリスでは関税の影響で、日本円に換算すると1080万円する(国内仕様のV-specIIの新車価格は574.8万円)事で、高所得層しか購入出来なかったが、フェラーリ以上の価値(希少性)やステータスがあると言うユーザーもあり、「スポーツ走行が出来る程高性能なのに、家族も乗せられる」と、実用面に対しての満足度も非常に高い。英国の自動車誌では、「パフォーマンスとテクノロジーは最高だが、見た目は東京タクシーのようだ」と評されたが、この書き方は英国流のジョークであり、むしろ「外見が普通の乗用車的なのに中身はスポーツカー」というコンセプトが、新鮮なものとして受け入れられている事の裏返し的表現である。現に「カーガイ(クルマ好き)」には好感を持って迎えられた。なおこの計200台はいずれも数日で完売している。その他、ドイツ、フランス、スイス、アメリカ合衆国|アメリカ、香港、アラブ首長国連邦|UAEなどへは個人輸出された(残念ながら、アメリカでは州によっては基準に適合していない車を入れることは法律違反となる場合もあり、業者が警察当局に拘束、収監されてしまったケースもある)。また、SUPER GTで活躍するミハエル・クルムも日本国内でR34GT-Rを2台購入し、モナコへ輸送している。英国仕様は、国内仕様とは特に大きな差異はないが、R34型は現地の法規に合わせた対応(セキュリティの強化やヘッドライトのハロゲンバルブ化(保安基準に適合しなかったための変更)、スピードリミッターを欧州の自主規制値である250km/hへ引き上げ、及び200マイル/hスケールスピードメーターの採用等)や、後に国内仕様のMスペックにも採用された本革シートが装備されている(英国仕様の本皮はコノリー社により手作業で張られたもので、日本のラインナップには無かった赤色表皮も選択出来、一応日本でもNISMOから20脚限定で発売されていた)。ハコスカ時代、初代GT-Rが発売される前年の1968年東京モーターショーには市販直前型のプロトタイプが参考出品されているが、この時点ではまだGT-Rの名は明かされておらず、2代目スカイラインのホットモデルに付けられたGT-AおよびGT-Bの流れを汲み、市販時にはGT-Cとなるとの噂もあった。GT-Rはストックの状態で、既にチューニングカーとしての完成度が高いことから、無闇に手を入れることを嫌うオーナーが多い。また、標準モデルにGT-Rのエンブレムをつけたりバンパーを移植するなどして、GT-Rっぽく見せるチューニングも多く行われることからGT-Rのスタイルの人気が伺える。もちろんコアなチューニング好きに、内に秘めるエンジンパワーをしっかり受け止めるために外装に大幅なモデファイが加えられることも多い。
スカイラインのモータースポーツ活動
スカイラインは初代モデルからモータースポーツに参戦しているが、本格的に参戦したのはS54型による第二回日本グランプリが最初。ホモロゲーションモデルであるGT-A、GT-Bから「スカG」の歴史が始まった。3代目PGC10型/KPGC10型GT-R は国内レースで、マツダのロータリーエンジン|ロータリー勢に苦しめられながらも50勝を達成したほか、数々の伝説を残す。その後、R30シルエット・フォーミュラ、R31・GTS-RでのグループA全日本ツーリングカー選手権参戦を経て、 グループAの頂点を目指すべく、GT-R(BNR32型)が復活、デビューからレース終焉まで29連勝の新たな伝説を築く。全日本GT選手権では、1993年の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてタイトルを獲得している。※5代目(C210型)については排ガス規制の対策に追われたため、特にモータースポーツ活動はない。
初代 (S20型)
1959年7月第1回「日本アルペンラリー」にスカイラインが参戦。1963年5月 第1回日本グランプリ (4輪)|日本グランプリB-IIクラスに「スカイライン・スポーツ」、C-IVクラスに「スカイライン」がそれぞれ参戦。「スカイライン・スポーツ」は7位、10位。「スカイライン」は8位。
2代目(S50型)
1964年5月 第2回日本グランプリ (4輪)|日本グランプリGT-IIクラスにスカイラインGT(S54-I型)出場、2位入賞。T-Vクラスにスカイライン出場。日本グランプリ決勝では1周だけ優勝候補であったポルシェ・904の前を走り、2位でレースを終えた。ツーリングカークラスのスカイライン1500、およびグロリアも優勝を飾っている。GTクラス優勝のポルシェ・904は、プリンスの日本グランプリ3冠を阻止するべくトヨタが取り寄せた、との噂が出回った。ポルシェ・904のドライバーは式場壮吉であり、式場は前年度トヨタのワークスドライバーとして日本グランプリに参加しているからである。当時、東京新聞の記者だった三本和彦が「羊の皮をかぶった狼」と記事のタイトルにしたが、当時のプリンス自工の広報部からクレームがついたらしい。
3代目(C10型)
1969年5月 「'69日本自動車連盟|JAFグランプリレース大会」クラブマンレース・特殊ツーリングカークラスでGT-R(PGC10型)がデビュー。1位でゴールしたトヨタ・1600GT|トヨタ1600GTが走路妨害と判定され、1周減算された結果、GT-Rが優勝となる。※このときの優勝車(39号車)をエブロが1/43ミニカーとしてモデル化している。同月 「JAF公認700キロ ノンストップラリー」にて「スポーティデラックス」が優勝を飾る。1969年8月 「第5回モーターファン&オートスポーツ|AUTO SPORTラリー」にてGT-Rが総合3位を獲得。1969年10月 「'69日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースにてGT-Rが1-3位を独占。1970年3月 「JMCマウンテン・サファリラリー」に1800が参戦。1970年5月 「'70JAFグランプリレース大会」特殊ツーリングカーレースにてGT-Rが1位、2位、4位を獲得する。このときの優勝車(58号車)をエブロが1/43ミニカーとしてモデル化している。1970年6月 「ツール・ド・ニッポン」に2000GTが出場。同月 「全日本富士300マイル」100マイルBレースにて、長谷見昌弘のドライブするGT-Rが優勝。長谷見はスペアカーで決勝に臨み、最後尾スタートであった。1971年5月 「'71日本グランプリレース大会」ツーリングカーbレースにてGT-Rが1-3位、5位を獲得する。1971年9月 マイナーチェンジ。1500、および1800の出力を向上。1500シリーズにハードトップ、およびGTシリーズ「ハードトップ2000GT-X」を追加された。1971年12月「第6回富士ツーリスト・トロフィーレース」で50連勝をかけたレースで、GT-R勢にトラブルが相次ぎサバンナとの戦いに敗れる。1972年3月 「'72富士GCシリーズNo1 富士300キロスピードレース」スーパーツーリングレースにて、GT-Rが豪雨の中、高橋国光が全車を周回遅れにして1位、プライベートの久保田洋史が2位、同じくプライベートの河原伸光が6位を獲得し、通算50勝を達成する。1972年5月 「'72日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースbにGT-Rが出場。表彰台をマツダのロータリーエンジン|ロータリー勢 マツダ・サバンナ|サバンナ、マツダ・カペラ|カペラに独占され、GT-R勢は4-6位。1972年9月 「'72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースにてサバンナとこれまでに無いほどの熾烈な戦いを制し、北野元が駆ったGT-Rが1位、プライベートの久保田洋史が3位、同じくプライベートの正谷栄邦が6位を獲得し、通算52勝目を飾る。: 1972年10月 「'72GCシリーズ第4戦 富士マスターズ250キロレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースに黒沢元治と長谷見昌弘の駆るGT-Rが出場。サバンナとすさまじいトップ争いを演じていたが、ラップ14で周回遅れのサバンナとともにクラッシュし、優勝を逃す。GT-Rの最高順位は4位。9月にC110型にモデルチェンジしたこともあり、徐々にKPGC10型GT-Rのレースへの出場は減っていった。
4代目(C110型)
1973年6月 「JAF公認・JMC主催 第10回北海道周回ノンストップラリー」にて、「セダン1800(PC110型)ラリーバージョン」が総合優勝を飾る。1975年6月 「北海道周回ラリー」にて「セダン1800」が総合優勝を飾る。1975年7月 「第3回JMCオーバーナイトラリー」にて「セダン1800」が優勝を飾る。1976年11月 「JMC中部ラリー」にて「セダン1800GL」が優勝を飾る。この年、「オーストラリア トタル エコノミーラン」にオーストラリア向けスカイライン「ダットサン240K」が出場。優勝を飾っている。
6代目(R30型)
1982年5月 当時のシルエットフォーミュラ|グループ5規定に合わせたレーシングカー「スカイライン スーパーシルエット」が登場。「ハードトップ2000RS(KDR30型)」をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバエンジニアリング製のシャシーに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーンクラフト製のカウルをまとい、「RS」のイメージカラーである赤/黒の2トーンカラーが特徴。ドライバーはかつてPGC10型GT-Rを操った長谷見昌弘。エンジンはサファリラリー等で使用された「日産・バイオレット|バイオレット」に搭載されていた直列4気筒DOHC LZ20B型(にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせ、 570ps/7600rpm、55kgm/6400rpmというパワーを誇った。トミーがメインスポンサーを勤め、トミカのバリエーションとしてモデル化もされたが、日本各地の日産プリンス販売会社からのカンパに大きく支えられた面もある。また日産自動車の意向により、同様のレーシングカーが「日産・シルビア|シルビア(KS110型)」および「日産・ブルーバード|ブルーバード(KY910型)」でも製作され、それぞれ星野一義、柳田春人がドライブした。「シルビア」のメインスポンサーは日本ラヂヱーター(現カルソニックカンセイ)、「ブルーバード」のメインスポンサーはコカ・コーラであった。1984年度まで国内外のレースに参戦し、1983年シーズンではR30型のマイナーチェンジに伴い、フロントフェイスおよびテールランプが変更された。また、スプリント用とは別に1982年8月に耐久用マシン(日産・スカイラインターボC)も追浜ワークスで製作され、南アフリカのキャラミ9時間に参加した。翌年グループC規定にあわせマシンも改造され、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|全日本耐久選手権に参戦する。
JTCなどの戦績
: 1982年5月 「RRC筑波チャンピオンレース」 リタイヤ
: 1982年8月 「RRC富士チャンピオンレース」優勝
: 1982年10月 「富士マスターズ250kmレース」優勝
: 1982年11月 「南アフリカ共和国 キャラミ9時間レース」 リタイヤ: 1983年5月 「RRC筑波チャンピオンレース」優勝
: 1983年5月 「レース・ド・ニッポン筑波」優勝
: 1983年8月 「RRC富士F2チャンピオンレース」優勝
: 1983年9月 「菅生チャレンジカップレース第4戦」優勝
: 1984年9月 「菅生チャレンジカップレース第3戦」優勝
: 1984年10月 「スーパーカップレース」優勝
: 1984年12月 「筑波チャレンジカップレース最終戦」優勝1985年 全日本ツーリングカー選手権 (1985年-1993年)|全日本ツーリングカー選手権(JTC)にグループA仕様「RSターボC」がニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモよりワークス参戦。主な戦績は以下の通り。
: 6月 第1戦 「菅生グループA」総合5位、6位完走
: 8月 第3戦「ビッグサマー全日本ツーリングカーレース」 2位1986年 引き続きJTCに「RSターボC」が参戦。主な戦績は以下の通り。
: 3月 第1戦「西日本300kmレース」 総合優勝
: 11月 最終戦「鈴鹿300kmレース」 総合優勝
:: ※鈴木亜久里がドライバーズ・タイトル獲得、メイクス部門と二冠。1987年 引き続きJTCに「RSターボC」が参戦。主な戦績は以下の通り。
: 12月 最終戦「スーパーファイナルIN鈴鹿」 2位
7代目(R31型)
1987年インターTECにGTS-Rがデビュー。1988年度全日本ツーリングカー選手権にGTS-Rが参戦。主な戦績は以下の通り。
: 1月 第1戦「新春NRC鈴鹿300km自動車レース」 優勝
: 3月 第3戦 「西日本300kmレース」優勝1989年度全日本ツーリングカー選手権にGTS-Rが参戦。主な戦績は以下の通り。
: 5月 「89ハイランドグループA300kmレース」 優勝
: 8月 「89レース・ド・ニッポン」 優勝
: 9月 「SUGOグループA 300kmレース」 優勝
: 9月 「グレード20ドライバーズレース」 優勝
:: ※長谷見昌弘がドライバーズ・タイトル獲得
8代目(R32型)
スカイライン
ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモのエキシビションにて
1990年全日本ツーリングカー選手権 (1985年-1993年)|全日本ツーリングカー選手権(JTC)第1戦西日本サーキットにてGT-R(グループA仕様)はレースデビュー。星野/鈴木組のカルソニックスカイラインがポール・トゥ・ウィンを飾るだけでなく、予選ではコースレコードを2秒近く短縮、決勝では全てのマシンを周回遅れとするなど、圧倒的な力の差を見せつけたことは現在でも語り草となっている。その後もシリーズ全戦でポールポジション獲得・優勝。翌年度より徐々に参戦車数が増え、最終シーズン1993年には7台のGT-Rが参戦、事実上のワンメイク状態とまで化した。結局、1990年の初戦からJTCというカテゴリーが終了する1993年まで無敗を誇り、最終的に29連勝という偉業を成し遂げる。がしかし、あまりに強過ぎたことがカテゴリー自体をも消滅させる一因となったことは皮肉である。なおN1耐久シリーズ(現・スーパー耐久)にもGT-Rで参戦。
また、1991年、世界3大耐久レースの一つ、スパ・フランコルシャン24時間レースにも1990年〜1992年出場し、1991年にはGr.Aクラスで日産ワークスから送り込まれたZEXELスカイラインが国産車初の総合優勝を果たしている。
しかし、あまりにも速過ぎたためテレビ映りが悪くテレビ局から苦情。同じく1990年、マカオギヤレースに参戦、予選で圧倒的な速さで予選トップを獲得、決勝でもその速さを見せつけ、1度もトップを譲らず優勝。そして4WDシステムの完成度の高さからル・マン24時間レースを主催するACOからは4WDシステムの禁止という嬉しくも悲しい洗礼を受けた。他にもプライベートチームよりヨーロッパや北米のレースにも数多く参戦し、殆ど優勝を飾っている。あまり知られていない事実として1990年に一度だけ世界ラリー選手権(WRC)にも出場していた事がある。国内外で活躍したBNR32であるが、元々ラリー用に設計されている車種ではないので、これに関しては流石に結果を挙げる事はできなかった。
JTCおよびN1耐久の戦績
1990年
: 全日本ツーリングカー選手権(JTC)に2台(星野一義/鈴木利男=カルソニック、長谷見昌弘/A・オロフソン=リーボック)参戦。6戦全勝。
:: シリーズチャンピオンは星野一義(5勝)が獲得。
: N1耐久「富士6時間」に参戦、優勝1991年
: JTCに4台参戦。6戦全勝。
:: シリーズチャンピオンは長谷見昌弘(3勝)が獲得。
: スパ・フランコルシャン24時間レースに参戦(オロフソン/デビッド・ブラバム|ブラバム/服部尚貴)、総合優勝。
: N1耐久ラウンドシリーズ参戦、6戦5勝。
:: シリーズチャンピオンは清水和男が獲得。1992年
: JTCに7台参戦。8戦全勝。
:: シリーズチャンピオンは長谷見昌弘(2勝)が獲得。
: スパ・フランコルシャン24時間レースに参戦(長谷見/オロフソン/ブラバム)。リタイヤ。
: N1耐久ラウンドシリーズ参戦、7戦全勝。
:: シリーズチャンピオンは桂伸一/原貴彦が獲得。1993年
: JTCに7台参戦。9戦全勝。
:: シリーズチャンピオンは影山正彦(4勝)が獲得。
: 全日本GT選手権(JGTC)参戦、3戦全勝。影山正彦がドライバーズタイトル獲得。
: N1耐久ラウンドシリーズ参戦、8戦全勝。
:: シリーズチャンピオンは桂伸一/原貴彦が獲得。1994年
: JGTCに参戦。5戦2勝。
:: ドライバーズ(影山正彦)、チーム(インパル)の二冠タイトル獲得。
: N1耐久ラウンドシリーズ参戦、8戦全勝。
:: シリーズチャンピオンは都平 健二/河合 博之が獲得。
9代目(R33型)
: 1995年
:: ル・マン24時間レースに参戦。総合10位。
:: 全日本GT選手権シリーズタイトル獲得。
: 1996年
:: ル・マン24時間レースに参戦。総合15位。翌年はGT-Rで参戦せず、日産・R390|R390で参戦している。
::
: 1998年
:: パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム|パイクスピークに「ニスモ400R」で参戦。チャンピオン獲得。
:: 全日本GT選手権シリーズタイトル獲得。
10代目(R34型)
・ニスモGT-R1999年:JGTCに参戦。GT500クラスに1月に発売されたBNR34型が3台、前年度モデルであるBCNR33型が2台。「ペンズオイル・ニスモGTR」(エリック・コマス)が2年連続のシリーズチャンピオンを獲得。
: スーパー耐久シリーズに参戦。JGTC同様BNR34型が参戦し、「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」がシリーズチャンピオンを獲得した。
JGTCの戦績
:: 3月 第1戦(鈴鹿サーキット)
::: 総合2位「ペンズオイル・ニスモGTR」(エリック・コマス/本山 哲)
::: 総合5位「ARTAゼクセルスカイライン」(鈴木亜久里/ミハエル・クルム)
::: 総合6位「ユニシアジェックススカイライン」(長谷見昌弘/田中哲也)
:: 5月 第2戦(富士スピードウェイ)
::: 総合3位「カルソニックスカイライン」(星野一義/影山正美)
::: 総合5位「ペンズオイル・ニスモGTR」(E.コマス/アンダース・オロフソン)
:: 5月 第3戦(スポーツランド菅生)
::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野/影山)
::: 総合6位「ペンズオイル・ニスモGT-R」(E.コマス/本山)
:: 7月 第4戦(セントラルパークMINEサーキット)
::: 優勝「ペンズオイル・ニスモGT-R」(E.コマス/本山)
::: 総合4位「ユニシアジェックススカイライン」(長谷見/田中)
::: 総合6位「カルソニックスカイライン」(星野/影山)
:: 8月 第5戦(富士スピードウェイ)
::: 総合3位「ペンズオイル・ニスモGT-R」(E.コマス/本山)
::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野/影山)
:: 9月 第6戦(TIサーキット英田)
::: 総合2位「ARTAゼクセルスカイライン」(鈴木/M.クルム)
::: 総合7位「ペンズオイル・ニスモGT-R」(E.コマス/本山)
:: 10月 第7戦(ツインリンクもてぎ)
::: 総合2位「ARTAゼクセルスカイライン」(鈴木/M.クルム)
::: 総合3位「ペンズオイル・ニスモGTR」(E.コマス/本山)
:: 11月 オールスター戦 「NICOS CUP GT オールスター戦'99」(オートポリス)
::: 総合3位「ARTAゼクセルスカイライン」(鈴木/M.クルム)
::: 総合4位「ペンズオイル・ニスモGTR」(E.コマス/本山)
スーパー耐久シリーズの戦績
:: 4月 第1戦 「MINEスーパー500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)
::: 優勝「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子智彦/山田英二)
::: 総合2位「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内浩典/田中哲也
::: 総合5位「日産アルティアGT-R」(粕谷俊二/桧井保孝)
:: 4月 第2戦 「ハイランド・スーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)
::: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)
::: 総合3位「ダイシンアドバンGT-R」(福山英明/大八木信行)
::: 総合4位「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)
::: 総合6位「日産アルティアGT-R」(粕谷/桧井)
:: 5月 第3戦 「Super耐久 SUZUKA 200miles」(鈴鹿サーキット)
::: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)
::: 総合3位(クラス2位)「FALKEN dream on μ GTR」(吉田寿博/横島 久)
::: クラス3位「日産アルティアGT-Rアドバン」(粕谷/桧井)
:: 6月 第4戦 「TI 400km耐久レース」(TIサーキット英田)
::: 優勝「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)
::: 総合2位「ダイシンアドバンGT-R」(福山/大八木)
::: 総合3位「日産アルティアGT-R」(粕谷/桧井)
::: 総合4位「エンドレスアドバンGT-R」(木下みつひろ/土屋武士)
::: 総合5位「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)
:: 7月 第5戦 「第6回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)
::: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内浩典/田中哲也/近藤真彦)
::: 総合3位「ダイシンアドバンGT-R」(福山英明/大八木信行/横島久/青木孝行)
:: 9月 第6戦 「もてぎスーパー耐久レース」(ツインリンクもてぎ)
::: 優勝「ダイシンアドバンGT-R」(福山/大八木)
::: 総合2位「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内浩典/長谷見昌弘)
:: 10月 第7戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)
::: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)
::: 総合4位「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)
:: 11月 第8戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)
::: 優勝「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)
::: 総合2位「日産アルティアGT-R」(粕谷/桧井)
::: 総合3位「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内浩典/近藤真彦)
::: 総合4位「エンドレス・アドバンGT-R」(木下/土屋)
:: 8月 「第28回インターナショナル ポッカ1000km」(鈴鹿サーキット)にスーパー耐久仕様の「ロックタイト・ニスモGT-R」(本山 哲/影山正美)が参戦。タービントラブルによる長時間のピットストップが響き、規定周回数である120周に及ばない118周でゴールし完走を逃す。
2000年
: 全日本GT選手権に参戦。GT500クラスにBNR34型が4台参戦。
: スーパー耐久シリーズに参戦。「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」がシリーズチャンピオンを獲得。
JGTCの戦績
:: 4月 第1戦 「もてぎGTチャンピオンレース」(ツインリンクもてぎ)
::: 優勝「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山正美)
::: 総合5位「ユニシアザナヴィ・スカイライン」(長谷見昌弘/田中哲也)
::: 総合6位「Castrol NISMO GT-R」(M.クルム/井出有治)
:: 5月 第2戦 「オールジャパン富士GTレース」(富士スピードウェイ)
::: 総合2位「Castrol NISMO GT-R」(片山右京/M.クルム)
::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野一義/本山 哲)
::: 総合6位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)
::: 総合9位「ユニシアザナヴィ・スカイライン」(長谷見/田中)
:: 5月 第3戦 「オールジャパンGTレース」(スポーツランド菅生)
::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)
:: 6月 スペシャルステージ「ジャパンGTフェスティバルinマレーシア」(SEPANG CIRCUIT)
::: 優勝「Castrol NISMO GT-R」(片山/M.クルム)
::: 総合7位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)
:: 8月 第4戦 「ジャパンスペシャルGTカップ」(富士スピードウェイ)
::: 総合3位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)
::: 総合4位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)
::: 総合6位「Castrol NISMO GT-R」(片山/M.クルム)
:: 9月 第5戦 「GTチャンピオンシップin TI」(TIサーキット英田)
::: 総合3位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)
::: 総合6位「カルソニック・スカイライン」(星野/本山)
:: 9月 第6戦 「CP MINE GTレース」(セントラルパークMINEサーキット)
::: 優勝「カルソニック・スカイライン」(星野/本山)
::: 総合3位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)
:: 10月 第7戦 「SUZUKA GT 300km」(鈴鹿サーキット)
::: 総合3位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)
::: 総合4位「Castrol NISMO GT-R」(片山/M.クルム)
::: 総合5位「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)
::: 総合8位「ユニシアザナヴィ・スカイライン」(長谷見/田中):: 8月 「第29回インターナショナル ポッカ1000km」(鈴鹿サーキット)にJGTC GT500仕様の「ニスモGT-R」(片山右京/大八木信行/青木孝行)、およびS耐仕様の「ススキレーシングGT-R」(見崎/袖山/HIDE)が参戦。「ニスモGT-R」はリタイヤ、「ススキレーシングGT-R」はクラス優勝(総合9位)を果たす。
スーパー耐久シリーズの戦績
:: 3月 第1戦 「CP MINEスーパー耐久500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)
::: 優勝「ダイシン・アドバンGTR」(大八木信行/青木孝行)
::: 総合2位「エンドレス アドバンGT-R」(木下みつひろ/高木真一)
::: 総合3位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子智彦/山田英二)
:: 4月 第2戦 「ハイランド・スーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)
::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内浩典/田中哲也)
::: 総合2位「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)
::: 総合3位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
::: 総合4位「BP ADVAN GTR」(粕谷俊二/見崎清志)
:: 5月 第3戦 「スーパー耐久 鈴鹿200マイル」(鈴鹿サーキット)
::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)
::: 総合2位「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)
:: 6月 第4戦 「TIスーパー耐久」(TIサーキット英田)
::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)
::: 総合2位「エンドレス アドバンGT-R」(木下/高木)
::: 総合3位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
::: 総合4位「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)
:: 7月 第5戦 「第7回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)
::: 総合2位(クラス優勝)「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内浩典/田中哲也/近藤真彦)
::: 総合3位「ダイシン・アドバンGTR」(大八木信行/青木孝行/市村)、総合5位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子智彦/山田英二/桂)
:: 9月 第6戦 「もてぎスーパー耐久レース」(ツインリンクもてぎ)
::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)
::: 総合2位「エンドレスアドバンGTR」(木下/高木)
::: 総合6位(クラス3位)「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
::: 総合28位(クラス4位)「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)
:: 10月 第7戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)
::: 優勝「エンドレスアドバンGTR」(木下/高木)
::: 総合2位「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)
::: 総合3位「BP ADVAN GT-R」(粕谷/見崎)
::: 総合30位(クラス4位)「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)
:: 10月 第8戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)
::: 優勝「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)
::: 総合2位「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)
::: 総合3位「エンドレスアドバンGTR」(木下/高木)
::: 総合4位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田):: 8月 「インターテックinコリア」(チャンワォンストリートサーキット)にS耐シリーズ出場車が参戦
::: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内浩典/田中哲也)
::: 総合2位「ENDLESS ADVAN GT-R」(木下みつひろ/高木真一)
::: 総合3位「BP ADVAN GT-R」(粕谷俊二/見崎清志)
2001年
: JGTC参戦。GT500クラスにBNR34型が3台参戦し、「ニスモ」が2001年JGTCチームチャンピオンを獲得。
: スーパー耐久シリーズに参戦。「FALKEN GT-R」が5年連続となるシリーズチャンピオンを獲得。
JGTCの戦績
:: 4月 第1戦 「GTチャンピオンシップin TI」(TIサーキット英田)
::: 総合4位「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中哲也)
:: 5月 第2戦 「オールジャパン富士GTレース」(富士スピードウェイ)
::: 総合3位「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中)
::: 総合4位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山正美)
:: 5月 第3戦 「SUGO GTチャンピオンシップ」(スポーツランドSUGO)
::: 総合7位「カルソニックスカイライン」(本山 哲/服部尚貴)
:: 6月 GTスペシャルステージ「2001ジャパンGTレースマレーシアラウンド」(SEPANG CIRCUIT)
::: 総合3位 「ザナヴィヒロトGT-R」(M.クルム/田中)、総合4位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)
::: 総合7位「カルソニックスカイライン」(星野一義/本山 哲)
:: 8月 第4戦 「ジャパンスペシャルGTカップ」(富士スピードウェイ)
::: 優勝「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中)
::: 総合2位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)
::: 総合7位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)
:: 9月 第5戦 「もてぎGTチャンピオンレース」(ツインリンクもてぎ)
::: 総合3位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)
:: 10月 第6戦 「鈴鹿GT300km」(鈴鹿サーキット)
::: 総合3位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)、総合8位「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中)
:: 11月 第7戦 「CP MINE GTレース」(セントラルパークMINEサーキット)
::: 総合2位「ペンズオイルゼクセルGT-R」(E.コマス/影山)
::: 総合5位「カルソニックスカイライン」(星野/本山)
::: 総合6位「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中)
スーパー耐久シリーズの戦績
:: 3月 第1戦 「CP MINE スーパー耐久500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)
::: 優勝「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子塾長/山田英二)
:: 4月 第2戦 「Hi-landスーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)
::: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内浩典/田中哲也)
::: 総合2位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
:: 5月 第3戦 「鈴鹿300マイル」(鈴鹿サーキット)
::: 優勝「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
::: 総合2位「FALKEN GT-R」(竹内/田中)
::: 総合27位(クラス3位)「ALTIA REIMAX GTR」(粕谷俊二/川越賢二)
:: 6月 第4戦 「もてぎスーパー耐久レース」(ツインリンクもてぎ)
::: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内/田中)
::: 総合8位(クラス2位)「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)、総合23位(クラス3位)「ALTIA REIMAX GTR」(粕谷/川越)
:: 7月 第5戦 「第8回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)
::: 優勝「ダイシンアドバンGT-R」(大八木信行/青木孝行/横島 久)
::: 総合6位(クラス2位)「FALKEN GT-R」(竹内浩典/田中哲也/影山)
::: 総合18位「JASレインボーGT-R ADVAN」(橋澤/吉富/池田/藤島)
::: 総合29位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子塾長/山田英二/和田)
:: 9月 第6戦 「TIスーパー耐久&F3レース」(TIサーキット英田)
::: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内/田中)
::: 総合2位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
::: 総合3位「JASレインボーGT-R ADVAN」(橋澤/吉富)、総合31位「JMC・ADVAN・GT-R」(輿水敏明/関 実)
:: 10月 第7戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)
::: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内/田中)
::: 総合2位「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
::: 総合3位、「JASレインボーGT-R ADVAN」(橋澤/吉富)
:: 11月 第8戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)
::: 優勝「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
::: 総合2位、「FALKEN GT-R」(竹内/田中)
::: 総合23位(クラス4位)「JMC・GT-R・ADVAN」(輿水敏明/関 実/佐々木)
::: 総合31位(クラス5位)「JASレインボーGT-R ADVAN」(橋澤/吉富/横島):: 5月 「ニュルブルクリンク24時間レース」に「ファルケンモータースポーツ」よりBCNR33型1台、BNR34型3台の「ファルケンGT-R」が参戦。エースカー(木下隆之/長谷見昌弘/ダーク・ショイスマン/ローランド・アッシュ)は総合192位完走。:: 8月 「第30回鈴鹿ポッカ1000km」(鈴鹿サーキット)にS耐仕様の「STP☆ススキレーシングGTR」(見崎清志/市村秀明)、「JMC・ADVAN・GT-R」(輿水敏明/植田正幸/関 実)、「M'S ALTIA GTR」(粕谷俊二/川越賢二/影山正彦)の3台が参戦。
2002年
: 全日本GT選手権に参戦。GT500クラスにBNR34型が3台参戦した。第3戦にはRB26DETT型に替わり、V型6気筒のVQ30DETT型を搭載するGT-Rが登場。第5戦以降は全てVQエンジン搭載となる。
: スーパー耐久シリーズに参戦。「エンドレスアドバンGT-R」がシリーズチャンピオンを獲得。
JGTCの戦績
:: 4月 第1戦 「GTチャンピオンシップ in TI」(TIサーキット英田)
::: 総合11位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山 哲/M.クルム)
::: 総合12位「カストロールピットワークGT-R」(影山正美/E.コマス)
::: 総合14位「カルソニックスカイライン」(星野一義/田中哲也)
:: 5月 第2戦 「オールジャパン富士GTレース」(富士スピードウェイ)
::: 総合6位「カストロールピットワークGT-R」(影山/E.コマス)
::: 総合7位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山/M.クルム)
:: 5月 第3戦 「SUGO GTチャンピオンシップ」(スポーツランドSUGO)
::: 総合4位「カストロールピットワークGT-R」(影山/E.コマス)
::: 総合7位「ザナヴィ ニスモ GT-R(VQ30DETT型搭載)」(本山/M.クルム)
::: 総合8位「カルソニックスカイライン」(星野/田中)
:: 6月 第4戦 「TMTOUCH ジャパンGTチャンピオンシップ マレーシア」(SEPANG CIRCUIT)
::: 総合4位「ザナヴィ ニスモ GT-R(RB26DETT型搭載)」(本山/M.クルム)
:: 7月 第5戦 「ジャパンスペシャルGTカップ」(富士スピードウェイ)
::: 総合2位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山/M.クルム)
:: 9月 第6戦 「もてぎGTチャンピオンレース」(ツインリンクもてぎ)
::: 総合10位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山/M.クルム)
:: 10月 第7戦 「CP MINE GTレース」(セントラルパークMINEサーキット)
::: 総合2位「ザナヴィ ニスモ GT-R」(本山/M.クルム)
:: 11月 第8戦 「鈴鹿GT300km」(鈴鹿サーキット)
::: 総合8位「カストロールピットワークGT-R」(影山/E.コマス):: 8月 「第31回インターナショナルSUZUKA1000km」(鈴鹿サーキット)にJGTC GT500仕様VQ3ODETT型搭載の「NISMO GT-R」(影山正美/M.クルム/田中哲也)、およびS耐仕様の「JMCダンロップGT-R・ED」、「ススキレーシングアドバンGTR」、「M's DUCKHAMS GTR」が参戦。「NISMO GT-R」はターボチャージャーのトラブルによりリタイヤ。S耐の3台もリタイヤとなる。
スーパー耐久シリーズの戦績
:: 3月 第1戦 「CP MINE スーパー耐久500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)
::: 優勝「FALKEN☆GT-R」(竹内浩典/田中哲也)
::: 総合3位(クラス2位)「JMCダンロップGTR・ED」(輿水敏明/吉富 章)
::: 総合10位(クラス3位)「エンドレスアドバンGT-R」(木下みつひろ/青木孝行)
:: 4月 第2戦 「Hi-landスーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)
::: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)
::: 総合2位「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)
:: 5月 第3戦 「スーパー耐久鈴鹿300マイル」(鈴鹿サーキット)
::: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)
::: 総合2位「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)
::: 総合4位(クラス3位)「JMCダンロップGT-R・ED」(輿水/吉富)
:: 6月 第4戦 「もてぎスーパー耐久500」(ツインリンクもてぎ)
::: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)
::: 総合2位「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)
:: 7月 第5戦 「第9回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)
::: 総合2位(クラス優勝)「エンドレスアドバンGT-R」(木下みつひろ/青木孝行/砂子塾長)
::: 総合13位(クラス2位)「FALKEN☆GT-R」(竹内浩典/田中哲也/影山正美)
:: 9月 第6戦 「TIスーパー耐久」(TIサーキット英田)
::: 優勝「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)
::: 総合2位「JMCダンロップGT-R・ED」(輿水/吉富)
::: 総合29位(クラス3位)「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)
:: 10月 第7戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)
::: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)
::: 総合2位「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)
::: 総合22位(クラス3位)「JMCダンロップGT-R・ED」(輿水/吉富)
:: 11月 第8戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)
::: 優勝「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)
::: 総合2位「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木):: 6月 「ニュルブルクリンク24時間」に「ファルケンモータースポーツ」より「ファルケンGT-R」(R.アッシュ/D.ショイスマン/木下隆之/田中哲也)が参戦し、総合5位入賞。
2003年
・ピットワークGT-R
: JGTC GT500クラスに参戦。RB26DETT型ではなくV型6気筒DOHCツインターボ VQ30DETT型エンジンに積み替えたことにより戦闘力を向上し、GT500クラスドライバーズチャンピオンおよびチームチャンピオンを獲得した。
: スーパー耐久シリーズに参戦。
JGTCの戦績
:: 5月 第2戦 富士スピードウェイ 1-2フィニッシュ。2001年8月のJGTC第4戦以来、約2年ぶりの優勝。
:: 5月 第3戦 スポーツランドSUGO 総合3位
:: 8月 第5戦 富士スピードウェイ 総合2位
:: 11月 最終戦 鈴鹿サーキット 総合優勝、総合3位、4位入賞
スーパー耐久シリーズの戦績
:: 6月 第3戦 「スーパーテック」(富士スピードウェイ) 総合優勝 「エンドレスアドバンGT-R」(木下みつひろ/青木孝行)
:: 6月 第4戦 「CP-MINE500kmレース」 総合優勝 スーパー耐久90連勝達成
:: 7月 第5戦 「第10回十勝24時間レース」 総合4位: 2003年5月 「ニュルブルクリンク24時間レース」に「ファルケンGT-R」が参戦。一時総合3位を走行するも、エンジンブローにより後退。総合53位 A8クラス3位。ドライバーは木下隆之/田中哲也/ローランド・アッシュ/ダーク・ショイスマン。
CM
歴代CM曲
4代目(C110型)
: 「ケンとメリー 〜愛と風のように〜」BUZZ(バス)5代目(C210型)
: 「愛はたぶん」RAJIE
: 「I LOVE JAPAN」財津和夫6代目(R30型)
: 「The best way to your heart」マキシン・ビクソン
: 「雨にぬれても」B・J・トーマス
: 「DOUBLE IMAGINATION」安部恭弘7代目(R31型)
: 「シティフェイシズ」グレイランド・ベンブリー
: 「I RIED THE NIGHT」リン・ローデリック
: 「エリーゼのために」(ロック調)アップテンポ編曲版
: 「トッカータとフーガニ短調」(アレンジ曲) ※以前にもマツダ・カペラのCMで使われたことがある。8代目(R32型)
: 「スペースランデブー」
: 「哀愁のランバダ」カオマ(演奏)
: 「ビル・ラルット・マラム(真夜中の恋)」シーラ・マジッド
: 「あなただけを」シーラ・マジッド
: 「ターナーの汽罐車」山下達郎9代目(R33型)
: 「ジャングル・スウィング」山下達郎
: 「悲しみのJODY」山下達郎
: 「サウスバウンドNO.9」山下達郎
: 「Born to be wild」(アレンジ)HOT TOMATO
: 「SPEED KING」ディープ・パープル ※GT-R
: 「月の砂漠」松野弘明 ※GT-R10代目(R34型)
: 「You Really Got Me」ヴァン・ヘイレン
: 「I'm Not In Love」10cc
CMキャラクター
5代目(C110型)
: マイケル富岡
6代目(R30型)
: ポール・ニューマン
7代目(R31型)
: 岩城滉一(前期型2ドアクーペ・途中で降板)
8代目(R32型)
: 羽田美智子(後期型初期)
: 田中広子(後期型末期)
9代目(R33型)
: ジャン・マルク・バール、田村翔子(前期型)
: 牧瀬里穂
[因みに牧瀬は後期型発売前まではホンダ・トゥデイのCMキャラクターを務めていた](後期型)
: 鹿賀丈史
[日産一社提供の『料理の鉄人』とのタイアップ。A32型セフィーロやC34型ローレル(セレンシア除く)でもタイアップした。](GT-R)
12代目(V36型)
: 渡辺謙
: イチロー(かつて、日産車各車種のCMに出演していた)
脚注
関連項目
* 日産・ローレル
日産・セフィーロ
日産・ステージア
日産・ラングレー
GTROC(The GT-R Owner's Club)
ニスモカーズファクトリーゼル ニスモコンプリートカー販売店(Zele International)
モータースポーツ
全日本ツーリングカー選手権(JTC)
全日本GT選手権(JGTC)
ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(nismo)
桜井眞一郎
伊藤修令外部リンク
日産・スカイライン サイト
日産・スカイラインクーペ サイト
日産・スカイライン スペシャルサイト
日産・スカイラインGT-Rサイト(R34型)
インフィニティGセダン USサイト
インフィニティGクーペ USサイト
ニスモカーズファクトリー博物館
日本自動車博物館
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