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2008/03/26 日記<日産・シルビア>
日産・シルビア
日産・シルビア (SILVIA) は、日産自動車で生産されていた2ドアノッチバックタイプのクーペ型自動車(3代目、4代目にはハッチバックが存在する)。名前の由来はギリシャ神話に登場する清楚な乙女のシルビア|名前から。その語源はラテン語で「森」を意味する。レーサーや走り屋にも人気は高く、車両盗難に遭うケースも多発し自動車保険|任意自動車保険の保険料率が国産車では一番高い車種の一つである(2008年現在)。
歴史
初代 P311型(1965年-1968年) 1964年の第11回東京モーターショーに「ダットサン クーペ1500」として出品された後、1965年4月発売。ダットサン・フェアレディ(SP310型)のシャーシに、SUツインキャブ付R型1600cc OHVガソリンエンジン|エンジンを載せ、クーペボディを架装して作られた。日本車初採用の4速フルシンクロのトランスミッション、ドイツ人デザイナー、アルブレヒト・ゲルツによるクリスプカットと呼ばれた美しいデザイン(実際には当時日産デザイン室に在籍した木村一男がゲルツの指導の下にデザインしたもの)、継ぎ目を極力減らしたボディパネルなど意欲作であったが、美しいルックスには不釣合いなタフな乗り心地や、相対的な割高感に加え、兄貴分の日産・スカイライン|スカイラインやオープンカー|オープン版のダットサン・フェアレディ|フェアレディの影に隠れて、商業的には成功したとは言えなかった。そのため1968年6月に554台のみで生産を終了、一旦は絶版となった。神奈川県警察では、高速道路交通警察隊のパトロールカー|パトカーとして採用された。社団法人自動車技術会の「日本の自動車技術180選」に選出されている。また、トヨタ博物館の3階にも展示されている。
2代目 S10型(1975年-1979年) 1975年10月発売。日本国内の車名は「ニューシルビア」で、バッジにも「New」の文字が見られる。コンセプトは初代とはうって変わり、北アメリカ|北米市場向けの「秘書|セクレタリーカー」として開発された。プラットフォームはB210型日産・サニー|サニーをベースとしており、サスペンションはフロントがストラット式サスペンション|ストラット式、リアがリーフ式サスペンション|リーフリジッド式を採用している。ハードウエアの面でも初代との繋がりは全く無い。開発当初はロータリーエンジンの搭載も検討されていたが、オイルショックの影響により見送られ、当時日産・ブルーバード|ブルーバードUに搭載されていた、1800ccの4気筒SOHCエンジンである日産・L型エンジン|L18型(105ps)を搭載した。直線的な美しいデザインを持つ初代とは対照的に、北米受けを狙った2灯式ヘッドランプや、うねりの強い2代目のスタイルは日本の顧客には共感を得られず、国内販売は不振だった。ちなみに、この世代の北米向けモデルで初めてSXの名が使われた。名称は日産・200SX|Datsun 200SX。通称5マイルバンパーと呼ばれる大型のバンパーを前後に装着していた。
3代目 S110型(1979年-1983年) 1979年3月、発売。プラットフォームは日産・バイオレット#2代目 A10/A11型 (1977-1981年)|A10型バイオレットと共通。先代の輸出仕様車である初代日産・200SX|200SXの手応えから、さらにアメニティーに振ったコンセプトとなり、日本初のドライブコンピュータをはじめ、ダッシュボード (自動車)|ダッシュボード上の横一杯に並んだワーニングランプやフェード|フェードアウトする足元灯など、アメリカ車並みのムーディーな室内イルミネーションを採用。なお、米国仕様車の名称は日産・200SX|200SXを継承している。エンジンは当初、1800ccの日産・Z型エンジン|Z18型、2000ccの日産・Z型エンジン|Z20型の2種が設定され、のちのモデルチェンジ (自動車)|マイナーチェンジで日産・FJエンジン|FJ20E型が追加設定された。これは日産・スカイライン#6代目(R30型、1981年-1985年)|R30型スカイラインRS用に開発されたDOHCエンジンである。サニー系のパワートレインのため、5速マニュアルトランスミッション|MTは5速がオーバードライブではなく、直結となっており、1速が左手前にくるシフトパターンであった。そのため、発進時のシフトミスを防ぐためリバースポジションでは警告ブザーが吹鳴するようになっていた。後に5速MTは6気筒車と共通の、4速プラスオーバードライブ式に変更された。ボディタイプはクーペに加え、ハッチバック|ハッチを持つ3ドアファストバックが追加された。なお3ドアファストバックには大型バンパーおよび日本初のフロント1アーム・ワイパーが全てのグレードに標準で装備されていた。1982年には2400ccエンジンを搭載して角ばったオーバーフェンダーを取り付け、225/50R16タイヤを標準とする日産・240RS|240RSも登場した。また、このモデルと次のS12型には日産・モーター店|日産モーター店扱いとなる、姉妹車の日産・ガゼール|ガゼールが設定された。なお、石原プロモーション製作の「西部警察」にて故・石原裕次郎が搭乗しているS110型のオープンカーは、姉妹車のガゼールである。1982年、生産拠点を九州工場へ移す。この年の第30回サファリラリーでは、日産・L型エンジン|LZ20B型(215ps)を搭載したグループ4仕様車が総合3位を獲得した。1983年、生産終了。
クーペ 後期型(リア)
4代目 S12型(1983年-1988年) 1983年8月、発売。このモデルからリアサスペンションがセミトレーリングアームの独立式となる。また、リトラクタブル・ヘッドライトが採用された。機能面では、日本初のチルトアップ機構付き電動ガラスサンルーフが搭載された。ちなみに、米国仕様車の名称は日産・200SX|200SXを継承した。ボディタイプは 2ドア・クーペとハッチバックの二車種。エンジンはデビュー当初、1800ccの日産・CAエンジン|CA18型3種(キャブレター/EGI/EGIターボ)と2000ccの自然吸気エンジンである日産・FJエンジン|FJ20E型(150ps)、ターボチャージャー|ターボを搭載した日産・FJエンジン|FJ20ET型(190ps)が設定された。同じくFJ20ET型を搭載していたDR30型日産・スカイライン|スカイラインでは、空冷インタークーラーを追加した205ps仕様が設定されたが、S12型には採用が見送られた。(試作車両が十数台、生産され 一部が世に流出した)なお当初は新開発の「CA18」型エンジンをフロントミッドシップに搭載し、新型・軽量エンジンとハンドリングの良さを売りにしていたモデルだが、たまたまフルモデルチェンジと重なりS110型からFJ20エンジンを継続したため、当初のデザインのままではエンジンが収まりきらないため、ボンネットを切り抜きバルジで蓋がしてある(インタークーラー用のインテークダクトではない)。1984年2月、1800ターボR-L FISCO追加。中級グレードのターボ・R-LにFJ20E/ET搭載車と同じタイヤ、アルミホイール等を装備したもの。1986年2月、マイナーチェンジ。FJ20E/FJ20ET型エンジン搭載車が廃止され、全車CA型エンジン搭載車となった。トップグレードには日産・CAエンジン|CA18DET型ツインカム・ターボエンジンが搭載された(これ以後、DOHCからTWINCAMという表記になる)。同時に兄弟車のガゼールが廃止。このため、日産・モーター店|日産モーター店では代替としてシルビアを扱うことになった(北米モデル:200SXにはVG30E型3000ccエンジンを積む大排気量車が追加)。1988年に生産終了。
5代目 S13型(1988年-1993年) 1988年5月、発売。歴代シルビアの中で最も販売台数が多い。このモデルで当時大人気だったホンダ・プレリュードの牙城を崩し、若者を中心に爆発的に売れた。当時としては未来的なデザインで、コマーシャルメッセージ|CMでも「アートフォース・シルビア(ART FORCE SILVIA)」と語っていた。足回りには新開発のリアマルチリンクサスペンションが採用された。CMソングは前期型にはプロコル・ハルムの「青い影」、後期型にはクライズラー&カンパニーの「動物の謝肉祭・水族館」が起用された。日産はこのモデルをデートカーとして位置づけていたが、当時すでに少なくなっていたミドルクラスの後輪駆動車であり、ターボエンジン搭載グレードなどのスポーツ走行も可能な設計であったため、メーカー側の予想に反してスポーツ走行用の様々な改造パーツが開発された。現在でもサーキットや峠などで走るための車として使用されることも多い。これはS13型だけに限った話ではなく、その後のモデルであるS14型やS15型にも受け継がれた。デビュー当初は1800ccエンジンのみで、自然吸気エンジンのCA18DE型(135ps)とターボのCA18DET型(175ps)が搭載されていたが、1991年のマイナーチェンジで2000ccの日産・SRエンジン|SR20DE型(140ps)と日産・SRエンジン|SR20DET型(205ps)に変更された。グレードは、J's、Q's、K'sの3種で、トランプを意識した構成になっていた。
オプション装備では、プロジェクターヘッドランプ、四輪操舵装置のHICAS IIや、ヘッドアップディスプレイ|HUDであるフロントウインドウディスプレイなどが用意され、未来的なイメージを後押しした。1988年7月、オーテックジャパン製の「コンバーチブル」を追加発売。K'sを改造したものであり、製造はオープン構造の車の生産を得意とする高田工業に委託されていた。1989年4月、姉妹車の日産・180SX|180SX(RS13型)が発売。リトラクタブルライトを採用したS13型の北米輸出仕様車日産・240SX|240SXハッチバックボディの日本仕様車であり、車名の「180」は排気量の1800ccにちなんでいる。エンジンはシルビアと異なり、ターボモデルのCA18DET型のみ設定していた。この180SXはS13型同様に人気が高く、S13シルビアの販売終了後もS14型と共に販売が続けられた。1991年1月、マイナーチェンジ。1800ccのCA18DE/CA18DET型から、2000ccの日産・SRエンジン|SR20DE型(140ps)と日産・SRエンジン|SR20DET型(205ps)に変更された。姉妹車の180SXも同時期にSRエンジンに変更されたが、名称は180SXのままであった。そのほか、トランクリッドのキーホールカバーとリヤスポイラーの形状変更、プロジェクターヘッドランプが4連からフォグランプも含めた6連に変更されるなどの細かい点も変更が行われている。内装はシートの形状が変更された。マイナーチェンジ前の型式がS13型、マイナーチェンジ後はPS13型となっているが、通称としてどちらも「S13」と呼ばれることが多い。1992年12月には最低グレードのJ`sを廃止して代わりにオールマイティーが登場し、ボディカラーの見直しが行われた。モデル末期には、そのころ発足したばかりの全日本GT選手権のGT2クラス(後のGT300クラス)に参戦し、クラスチャンピオンを獲得している。1993年、生産終了。
輸出仕様車とバリエーション
輸出仕様車として、北米仕様の日産系トラック用の2400ccエンジン(前期型は日産・KAエンジン|KA24E、後期型は日産・KAエンジン|KA24DE)を搭載した日産・240SX|240SXと、欧州仕様の日産・200SX|200SX(搭載エンジンは日本仕様と同様、初期型が1800ccのCA18DE/CA18DET型、後期型が2000ccのSR20DE/SR20DET型)とが存在する。北米仕様の日産・240SX|240SXは、現地のヘッドライト位置の法規に対応するため、フロントのデザインに180SXと同様のリトラクタブルライトを採用している(なお、日本でもS13型シルビアのフロントを180SXのものに換装した改造車、通称・エイシル・ワンビアが少数ながら存在する)。バリエーションとしては上記の姉妹車180SXのほか、光岡自動車がS13型シルビアをベースにクラシックカーのようなボディを換装した初代光岡・ラセード|ラ・セードを発表している。また、180SXがベースではあるが、フロントパネル一式をユーザーの手によってS13型のものに換装した(後に一部の日産系ディーラーで正式に販売された)通称シルエイティが存在する。
6代目 S14型(1993年-1998年) 1993年10月、発売。ボディサイズを大きくして3ナンバーボディとなった事や、この年の前後に発売された一連の日産車(C34型日産・ローレル|ローレル、W30型日産・ラルゴ|ラルゴ、R33型日産・スカイライン|スカイライン、B14型日産・サニー|サニーなど)に共通して外観デザインが不評であった事、4ドアスペシャリティー車の台頭により人気が低下し、販売面で苦戦したモデルである。販売テコ入れのため、1996年にビッグマイナーチェンジを敢行。主にフロント周りのデザインを一新したが、前期型と同様S13型と比べて肥大化し、不評だったボディサイズはいかんともしがたく、大幅な人気回復には至らなかった。現在では珍しくなったターボエンジンを搭載したマニュアルトランスミッション|マニュアルミッション設定のある二輪駆動|FRクーペモデルであること、登場から10年以上経過していることにより中古車価格も下がっていることなどの理由から、いわゆる走り屋層には人気があり、一部の愛好家には未だに支持されている。エンジンは自然吸気、ターボ共に改良され、日産・SRエンジン|SR20DE型は160ps、日産・SRエンジン|SR20DET型は220psにパワーアップした。先代のノンターボはレギュラーガソリン仕様だったが、ハイオク仕様に変更された。走り屋などからは前期型を「たれ目」、後期型を「吊り目」と区別されている。シャープな印象の後期型の人気が総じて高いが、前期型の柔和なスタイルを好むものもいる。中古車価格は後期型が年式の割りにかなり高値をつけられている。デビュー当時のキャッチコピーは「アイ・ハント・シルビア(eye hunt SILVIA)」。CMソングはティアーズ・フォー・フィアーズの「シーズ・オブ・ラヴ」が起用された。マイナーチェンジ後のキャッチコピーは「Ready Go FR」。CMには宝生舞が出演している。CMソングはザ・ハイロウズの「相談天国」と「Happy Go lucky」が起用された。1996年6月、後期型へマイナーチェンジ。曲線の多かった前期型から、ヘッドライトを角ばった、いわゆる「ツリ目」の形状にするなど、主にフロント周りのデザインを一新し、全体的にシャープなデザインの外観に変更した。1997年10月、「オーテックバージョン K's MF-T」が追加。オーテックジャパンによって各部をファインチューニングされており、特にエンジンはチューニングされたSR20DET型にIHI|石川島播磨重工業製の専用ターボチャージャーを組み合わせ、藤壺技研工業製の専用エキゾーストシステムと相まって、最高出力250ps/6,400rpm、最大トルク28.0kgm/4,800rpmを発生した。外観上の特徴は、大型リアスポイラー、専用フロントバンパー、アローエンタープライズ製の16インチアルミホイール。205/50R16・90VのブリヂストンポテンザRE710Kaiを履き、専用スポーツサスペンションを装着していた。内装はホワイトメーター、 電圧・油圧・ブーストの3連ホワイトメーター、MOMO社製SRSエアバック付きスポーツステアリング、本革巻シフトノブ、専用シート地、専用ドアトリムクロスが装着されていた。1998年 生産終了。
輸出仕様車
輸出仕様車としてS13型と同様、欧州仕様車と北米仕様車が存在した。欧州仕様は、日本仕様と同様のSR20DE/SR20DET型エンジンを搭載したモデルが新型日産・200SX|200SXとして販売された。北米仕様車は、1996年にS14型の日産・240SX|240SXへとモデルチェンジした。エンジンは引き続きKA24DE型(155ps)が搭載された。
前期型(リア)
7代目 S15型(1999年-2002年) 1999年1月、発売。キャッチコピーは、「ドライブしよう」(spec.S、spec.R)、「Open Your World」(ヴァリエッタ)。最大のトピックは、S14型で拡大し不評だったボディサイズを再び5ナンバー枠に戻したことである。また、グレードはS14型までの「J's、Q's、K's」から、「spec.S、spec.R」とした。エンジンはさらに改良され、spec.Sのマニュアルトランスミッション|MT車用SR20DE型が165ps、spec.RのSR20DET型は250psとなった(オートマチックトランスミッション|AT車では、それぞれ160ps、225ps)。また、ターボモデルであるスペックRにはトヨタ自動車|トヨタ系列部品会社のアイシン精機が製造した6速MTが装備され(このアイシン製ミッションはチューニングを施すと破損してミッションが入らなくなるトラブルが多発した)、更にターボチャージャーにはS14型から引き続きボールベアリングタービンが採用され、レスポンスアップを図りつつ、低速回転からもストレスなく回る仕上がりになっている(ただし、生産終了間際のモデルにおいてはボールベアリングではなくフローティングメタルが採用されている)。スタイルも洗練された物となり、ブースト計または油圧計が右Aピラーに配置されたり、運転席中央部にホップアップ式5.8インチ液晶モニターをオプションで採用する。スタイル、機能共に好評で、S14型の不評を払拭し人気を回復した。販売は日産日産・レッドステージ|レッドステージで行われた。また、S15型登場に合わせて、S14型の販売不振により思わぬ長寿モデルとなった180SXが生産終了・モデル廃止された。1999年10月、オーテックジャパンが開発を手がけた「オーテックバージョン」を追加。spec.Sをベースとして各部にファインチューニングを行い、自然吸気エンジンのNVCS付きSR20DE型専用エンジンは、圧縮比アップによる燃焼効率の向上や背圧低減による高回転域の排気効率向上、狙いのトルク特性を引き出すためバルブタイミング、リフト量のチューニング等、内部を見直す一方、藤壺技研工業製の専用エキゾーストマニホールドを採用し、最高出力200ps、最大トルク21.8kgmを発生した。ボディ補強、前後ブレーキ、6速MT、リヤヘリカルLSDなどはspec.Rと共通である。外観上はボディサイドエンブレム程度の相違しかなく、内装も専用シルバーメーター、赤ステッチ入りの専用フロントシート・ドアトリム生地など、大変控えめなものであった。2000年5月、国産初のフルオープンタイプ電動メタルルーフのオープンカー(クーペカブリオレ)の「ヴァリエッタ」を発表。同年7月に発売開始した。1999年の第33回東京モーターショーに出品された、オーテックジャパンと高田工業の共同開発車である。搭載エンジンはSR20DE型のみで、詳細はspec.Sに順ずる。フロントシートに帝人および田中貴金属工業と共同開発した、モルフォチョウの鱗粉の発色原理を応用する繊維「モルフォテックス」を織り込んだ布地「モルフォトーンクロス」(帝人および川島織物の共同開発)を採用した。2000年10月 オーテックジャパンにより内外装に手を加えた「style-A」を追加。ちなみに、2000年には光岡自動車がS15型をベースに、2代目ラ・セードを発表している。2002年1月24日に最終特別限定車「Vパッケージ」を発売開始。専用フロントシート・ドアトリム生地、MD・CD一体型電子チューナーラジオ、プライバシーガラス、キセノンヘッドランプなどを標準装備しつつ、価格を従来車から据え置いた。2002年8月、生産終了。
輸出仕様車
S15型は、先代のS14型までのように欧州向けや北米向けには輸出されず、オーストラリアとニュージーランド向けが少数輸出された。
シルビアのモータースポーツ活動
S110型
1980年11月、マカオグランプリ・スーパーサルーンクラスおよびギア100に参戦。スーパーサルーンクラスでは優勝を飾り、ギア100では5位を記録する。共にドライバーは星野一義。; スーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボ
1981年、富士グランドチャンピオンレース|富士GCの併催レースであるスーパーシルエットクラスレースに参戦。ドライバーは星野一義。ハッチバック(KS110型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシーに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーン・クラフト製のカウルをまとうスーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボが好戦績を残した。メインスポンサーは一貫してカルソニックカンセイ|日本ラジヱター(現・カルソニックカンセイ)。スーパーシルエットクラスレースには、同じ形状のカウルで1982年、1983年と連続参戦した(ただし、1983年途中からは同じシャーシにS12型風のカウルの組み合わせだった)。なお、シルエットフォーミュラのエンジンは1981年度は直列4気筒DOHCの日産・L型エンジン|L20B型ターボ、1982年度はサファリラリー等で活躍したPA10型「日産・バイオレット|バイオレット」に搭載されていた直列4気筒DOHCの日産・L型エンジン|LZ20B型にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせた日産・L型エンジン|LZ20B/T(2082cc 570ps/7600rpm、55kgm/6400rpm)型だった。日産の意向により、同様のレーシングカーが日産・スカイライン|スカイライン(KDR30型)及び日産・ブルーバード|ブルーバード(KY910型)でも製作され、それぞれ長谷見昌弘と柳田春人がドライブし、ターボ三羽烏として観客を沸かせた。; 主な戦歴
: 1981年3月 富士GC 第1戦 富士300キロスピードレース大会 優勝
: 1982年3月 富士300kmスピードレース GCクラス 優勝
: 1982年5月 富士グラン250kmレース GCクラス 2位
: 1983年5月 富士グラン250kmレース 優勝; コンペティションマシン・240RS
1983年、海外ラリー競技向けにS110型ベースの「日産・240RS|240RS(BS110)」というホモロゲーションモデルが登場。当時グループBで争われていた世界ラリー選手権|WRCに参戦した。ボディタイプはノッチバッククーペが選ばれた。生産台数は200数台といわれている。1983年から1986年まで参戦したWRCでの最高成績は2位。
240RSのホモロゲーションマシン及びカスタマー・スペック車に使われたのは2400ccの日産・FJエンジン|FJ24型(240ps)である。さらに、240RSのワークスカーには日産・FJエンジン|FJ24改(275ps)を搭載するエボリューションモデルが存在した。ちなみに、FJ24型は国内で販売されていた日産・FJエンジン|FJ20E型とは設計・構造が異なるため、共通パーツがほとんどない競技専用エンジンだった。2006年のニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMOフェスティバルでは、日産自動車の有志の手でレストアされたワークスマシンが完成し、デモランを行った。2007年現在、この車両は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。また、ローカル競技ではあるが、240RSは日本のあるエンスージアストの手により近年のタルガ・タスマニア・ラリーに参戦し、好成績を収めている。
S12型 シルビア スーパーシルエット
スーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボ
シルエットフォーミュラにも引続き参戦したが、車両自体は先代S110型のシルエットフォーミュラ仕様のボディパネルをS12風に変更したモデルである。現存しているシルビアのシルエットフォーミュラ仕様車はこのS12風カウルをまとったもので、2005年のニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMOフェスティバルでは、レストアされたこのマシンを当時のドライバーである星野一義がドライブした。; 主な戦歴
: 1983年9月 富士GC 第3戦 富士インター200マイルレース大会 2位
: 1983年10月 スーパーカップレース SSクラス 優勝; WRC・グループAクラスへの参戦
S12型の北米向けモデル日産・200SX|200SX(RVS12型)には、V6・3000ccの日産・VGエンジン|VG30E型を搭載するモデルも存在した。日産はこれをベースにラリー仕様車を製作、1987年と1988年の2年間、WRCのグループAクラスに参戦した。WRCにおける最高成績は1998年アイボリーコーストラリーの優勝。; 主な戦歴
: 1987年 第35回サファリラリーに北米向け200SXをベースとするグループA仕様車が参戦
: 1988年 第36回サファリラリーに参戦。総合2位・A4クラス優勝および総合3位を獲得
: 1988年 アイボリーコーストラリーに参戦。総合優勝。WRCで最後に優勝したFR車となる。 S13型
ワンメイクレース・GTI(JGTC以前のカテゴリー)への参戦
『デートカー』などの軟派なイメージが先行されたS13型も、軽量化のため内装を全て剥ぎ、ロールゲージを張り巡らされ、外装ノーマルでエアロパーツが一切不可、さらにはSR20DEのメカチューンを搭載したスパルタンな車両が、若手レーサーの激戦区でもあったワンメイクレースにて活躍。
また、1993年に国際級レースに、NISMOよりグループA仕様のGT-RベースにしたカルソニックGT-Rと共にシルビアワンメイクレースのN2仕様のスーパーシルビアに大型エアロパーツを装着、モディファイした車両が参戦している。 S14型
JGTC・GT300クラスへの参戦
S14型は、全日本GT選手権 (JGTC) のGT300クラスに、前期型と後期型が共に参戦した。1997年シーズン、織戸学/福山英朗組の駆る後期型フェイスのRS・Rシルビアがチームタイトルを獲得した。; NISMO 270R
S14型には、前期型をベースにニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMOがチューニングを行った「ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO 270R」というコンプリートカーが存在した。ボディカラーはスーパーブラック(#KH3)のみ。開発にはレーシングドライバーの木下隆之が関与した。車名はNISMOの手でファインチューニングされたSR20DET型エンジンの最高出力である270馬力にちなんでいる。 S15型
JGTC・GT300クラスへの参戦
S15型は全日本GT選手権 (JGTC) のGT300クラスにデビュー直後から参戦した。2001年シーズン、大八木信行/青木孝行組のダイシン・シルビアがチーム及びドライバーズタイトルを獲得している。また、2004年シーズンからは日産のGT300クラスの主力の座をZ33型日産・フェアレディZ|フェアレディZに譲り、翌年第一戦から退いた。; 主な戦歴
: 2001年 JGTC GT300クラスに参戦。チーム・ダイシン・シルビアがチーム及びドライバーズタイトル獲得; 全日本ラリー選手権・2輪駆動部門への参戦
2001年、2002年には全日本ラリー選手権2WD部門に参戦した。チームはニッサン・ラリー・サービス|NRSで、連続で年間ドライバーズタイトルを獲得している。 出場レースなど
シルエットフォーミュラ(Gr.5)
JSS
世界ラリー選手権
全日本GT選手権
全日本ラリー選手権
全日本プロドリフト選手権チューニング
S13型
S13型の弱点としては、左側のメインフレームが何故か途中で切れているため、その部分に補強する必要がある(実際、補強用パーツ等が複数存在する)。また、マイナーチェンジ後に搭載されたSR20DET型エンジンは極端に燃料系のキャパシティが少ないため、ブーストアップ程度でも強化燃料ポンプへの交換とインジェクターに交換する必要がある。また、横からの重力が強く掛かる運転を続けていると燃料タンク内の仕切り板が外れ、燃料を吸えなくなりエンジンブローするなど、サーキット走行やドリフト走行では注意や対策が必要といわれている。 S14型
ターボの潜在ポテンシャルはS13型に比べて上がったものの、過給圧をノーマルの設定から上げると、そのような改造を想定していない為か、S13型と同様に燃料系が弱く、燃料系パーツの強化を行わないと簡単にエンジンブローする。ただし、S13型と比べてボディ剛性と燃料タンクの問題は解消されている。 S15型
ドリフトブームの影響もあり、いわゆる走り屋層にはヒットとなった。S13型、S14同様、ドリフト仕様の通称・ドリ車の代名詞としても有名になり、全日本プロドリフト選手権(通称・D1)でも人気車種の一つに挙がっている。
新デザインのピラーメーターは視認性こそ良かったものの、ブースト1.0Kg/cm以降針が動かないため、インタークーラーやアクチュエーターのトラブルで予期しないブーストが掛かってしまっても気付かず、タービンやエンジンをブローさせるというトラブルも相次いだ。結局、安全のためには社外品のブーストメーターを取り付けるしかなく、ブースト計が2つ装着されている車両も多い。
アメリカで人気のV8エンジンスワップ
アメリカではSR20DETではなく、S13~S14共に(S15は個人の場合を除き正規輸出されていない)、自然吸気2.4リッターKA24DEエンジンを搭載していたため、パワー不足が問題となった。SR20DETやRB26DETTをスワップするのはよくあることだが、中でもシボレー・コルベットのV型8気筒|V8エンジンスワップが人気を高めている。5.7リッターV8はハイパワー、ハイトルクであるために、まったく別物の走りをする。ヒンソン・スーパーカーズ(Hinson Supercars)社のキットが一番人気がありコルベットのLSシリーズなら比較的簡単に搭載出来る。ただし7.0リッターV8であるLS7はドライサンプである為に多少手間を要する。KA24DEからコルベットV8のスワップすると、フロントが浮き気味になるので、車高を下げる必要がある。これはコルベットの軽量アルミエンジンを搭載したことによってフロントの重量が、個体差はあるが約130ポンド(59キロ)から150ポンド(68キロ)軽くなってしまうからである。意外ではあるが燃費は良く、SR20DETスワップされた車両よりも良いという声もある。もともと排気量の割に燃費の良いコルベットのアルミエンジンだが、一番の理由は高速走行のとき、回転数が低いことにあると言われている。関連項目 * オーテックジャパン
ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル
日産・ガゼール
日産・180SX
日産・シルエイティ
日産・200SX
日産・240RS
日産・240SX
星野一義
日産・SRエンジン
モータースポーツ外部リンク
日産ミュージアム (日産自動車 公式サイト)
オーテックジャパン バリエッタ
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